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 徳島県南部の山間部、那賀町。昨年12月の冷え込んだ夜、あかりのついた集会所は熱気がこもっていた。

 地元の人形座、丹生谷(にゅうだに)清流座の若い座員たちが待っていたのは、浄瑠璃人形遣いの勘緑(かんろく)さん(65)だ。

 この日、座員たちは二つの人形をそれぞれ3人で操り、「寿二人三番叟」など定番の演目を演じた。勘緑さんは「もっと自由な発想で動きを考えて」などと声をかけ、自ら人形を手にとって手本を見せた。

 徳島ではかつて、各地の神社の境内に建てられた農村舞台で、義太夫節による三人遣いの人形芝居、阿波人形浄瑠璃が上演された。

 人形浄瑠璃の「聖地」、大阪の文楽座で30年以上、人形遣いとして活躍した勘緑さんは、道具や人形を積んだ車を自ら運転し、自宅のある大阪市から月4回は徳島に通っている。「自分の芝居をよく理解してくれるホームグラウンドです」

 徳島県三好市の出身で、県立城北高校(徳島市)民芸部で人形浄瑠璃に出あった。演劇の道を志して早稲田大に進学したが、挫折。たまたま国立劇場(東京)で目にした文楽に出演した桐竹勘十郎に魅せられて弟子入りし、勘十郎が亡くなるまで8年間師事した。

 その後、文楽座に在籍したまま神奈川県・相模湖畔に暮らし始め、「半農半芸」の生活を18年ほど続けた。女性も参加出来る人形遣い集団、木偶(もくぐう)舎を設立、主宰するなど人形浄瑠璃の可能性を追求した。2011年3月の東日本大震災後の被災地支援を機に文楽座を辞し、フリーになった。

 ライフワークとして取り組んでいるのが、かつて人形浄瑠璃が演じられた各地の舞台の復活だ。相模湖畔での活動を皮切りに、岐阜や九州にも足を運んだ。徳島の那賀町では三つの舞台の復活にかかわった。文化の伝承にとどまらず、観光資源や町おこしになると地元の人々に呼びかけた。

 ジャズ、現代サーカス、琉球音楽――。人形浄瑠璃の可能性を広げたいと、様々なジャンルの芸術とのコラボにも挑んだ。次々と新作の脚本を書いては、上演してきた。

 中でも「楢山節考」をモチーフに作った「新釈 姥捨山」には意義を感じている。「人形だから生々しくなく、シリアスな高齢者問題もどこか安心してみてくれます。その分切り込んで、人の心に響く芝居を作れます」。曲は徳島出身の作曲家、住友紀人さんがつけてくれた。

 人形浄瑠璃を海外にも広めたいと、欧米に出向いて教え、演じてきた。チェロ奏者と組んでツアーをしたフランスでは、シリア難民の双子と知り合った。帰国後、双子を日本に招き、原発事故の被災地、福島県を中心にツアーをした。「戦争難民も原発難民も同じ。芸能をやる以上、きちんとメッセージを届けることが必要。未来を生きる子どもたちのためです」と力説する。沖縄や脱原発など社会問題と向き合い、地域の人々の思いを演技にこめた。

 昨年、新型コロナウイルスの感染拡大で公演の多くがキャンセルになったが、新たな試みを始めた。

 春、大阪の自宅で「主夫」として幼い子ども2人の世話をするかたわら、屋上でコロナ平癒祈願の人形芝居を演じ、フェイスブックで映像を発信した。全国の弟子らに共演を呼びかけるなどし、50回以上続けた。「自粛生活しながら、自分の(芝居)小屋が持てました」

 春にはコロナ禍の中で自分たちの暮らしを見つめる新作「True Life」を作り、8、11月に四国を中心に各地を巡った。生きるとは。被災地支援のため毎春続けている東北でのツアーで浮かんだ思いも込めた。

 今後は、高齢者が高齢者らしく生きることをテーマにした新作に意欲をみせる。故郷、徳島の人形座や学校での若手育成にも力を入れたい。

 「まだまだやりたいことはいっぱいある。あと10年はフルスロットルで走り続けます」(福家司)

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