下りてきた女性、忘れられぬ5千円 被災地で不安消えた

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聞き手・野城千穂
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 ギターを手に、岩手、宮城、福島を歩いた。佐藤龍守さんがこの10年、メンバーと一緒に3県で開いたライブは約80回を数える。

 2011年9月。始まりは岩手県山田町だった。誰もが、自分にできることは何か、できることがあるのか、思いを巡らせていたあの頃だ。

 「立派な考えで行ったわけではないんです。理屈とか、そんな重いものじゃない。ただ、心にぽっかり穴が開いた方々の、その穴を埋められるかどうかだ、と」

〈さとう・りゅうま〉秋田県由利本荘市を拠点に活動するバンド「BRONZE(ブロンズ)道心」の代表。福島市生まれ、年齢は非公表。ブロンズは2000年に結成し、09年にプロデビュー。

 ライブを開くにあたり、決めていたことが二つある。一つは、現地に迷惑をかけないこと。食料はもちろん、電気も自力で賄えるように発電車を準備。秋田県横手市の運送会社から10トントラックを譲り受け、荷台をステージに改造した。これで、広場さえあればどこにでも秋田から駆けつけ、ライブが開けた。町の職員を通じ、役場近くの炊き出しイベントの一角を借りた。

 「最初は誰もいないんですね。でもリハーサルやっているうちに、30人、40人、50人と集まって、本番には100人くらい集まって」

 もう一つの決め事は、ライブの宣伝をしないこと。

 「心の折られた状態のときに、音を聞いて、もしかしたら自分で『行ってみよう』と部屋から一歩踏み出してくれるのではないか。(宣伝されたからではなく)自らの意思で行くことが大事だと考えました」

 続いて、山田町から大船渡市へトラックを走らせた。ここで、忘れられない出会いがあった。

 「港から山のほうに避難した人たちのアパートがあって。杖をついた80代くらいのおばあちゃんが、リハーサル中に5階から下りてきてくれたんです。『いい音が聞こえてきたから』って」

 女性は、ステージの前に並んだパイプイスの一つに腰掛けた。笑顔はない。ただ、空を仰ぐようにして、最後まで演奏を聞いてくれた。

 「終わると、お礼を言いに来てくれました。『色んなことがあるんだけど、すっと心が楽になった』と言って、封筒にお金を包んで『もらってくれ』と」

 封筒の中には、折り目のついた5千円札1枚と、「感謝」の2文字が書かれたはがきが入っていた。ためらったが、受けとることにした。

 「頂いて、お守り代わりにしようと思いました。思いと、魂がこもっているように感じたからです」

 秋田を出発したときには、ライブがどう受け止められるのか、どこかに不安があった。だがこの経験をしたことで、「やっていいんだな」と思えた。

 ブロンズ道心はロックバンドだが、ジャンルを固定することなく、流行に左右されず、オリジナル曲を生み出してきた自負がある。サックスの音色と琴や和太鼓が不思議となじむ。ジャズのようでもあり、演歌のようでもある。そんな中で軸になったのが「東北の音」だ。

 「自分たちが生まれ育ったのが東北です。寒さに耐え、粘る。日本中をみても、あったかい心を内に秘めている地方だと思います」

 被災地を回る中で、13年にできた曲が「やませ」だ。夏の東北地方に吹き付ける冷たい風「やませ」は、冷害の原因にもなり、人々を何度も苦しめてきた。

 「やませのように、東北には昔から自然災害がありました。それにも負けずにいこうと、太鼓の力強さで表現した楽曲です」

 震災を機に、東北の人々との接点は格段に増えた。

 「人と出会った分だけ、音は肉付けされます。話したことや経験が、一つ一つの楽曲の音の深さや太さにつながる。やり続ければ、同じ音にでも絶対に違いが出てくる。厚い音になる。(ライブを通じて)こっちが育てられています」

 活動を継続したからこそ、復興の複雑さも見えてくる。お金で解決できない心の復興が課題となる一方で、補助金の多寡によって被災者の間で格差が広がる現実も知った。

 コロナ下の昨年は、宮城県名取市閖上で唯一ライブを開催できた。津波に流された閖上地区は町全体が新しくなった。閖上中央町内会の長沼俊幸会長は「10年間忘れないでいてくれる人たちがいるんだなというのはうれしいこと」と話す。

 「一人でも来てくれるならやりたい、と思ってライブを続けてきました。今後も継続したいと思います」(聞き手・野城千穂)

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