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 節目の年が明けるのを待たず、斎健二さんが12月30日夜、亡くなった。65歳。東日本大震災で宮城県岩沼市の自宅が被災した。仲間とともに、集団移転先のまちづくりに力を尽くした10年だった。

 岩沼市では、津波で流された沿岸の6集落が一つにまとまり、内陸部の玉浦西地区に移転することになった。二野倉集落の町内会役員だった斎さんは、そのまま「まちづくり住民協議会」のメンバーに。仮設住宅の集会所に取材に行くと、皆で輪になり、住宅や公園の配置を議論していたものだ。

 2014年6月には、地震被害から復興を遂げた福岡県玄界島を、視察に訪ねた。同行取材させてもらったことが、今は懐かしい。斎さんが勤める建設会社は玉浦西の造成工事を請け負い、現場監督をした。そのこともひそかな誇りだったようだ。

 斎家は14年10月に新居が完成。約1千人が暮らす街が姿を現し、15年夏にはまちびらきを盛大に祝った。斎さんの胆管がんが見つかったのはその1年後。2度の手術と治療の傍ら、まちづくりの活動を続けた。

 去年秋、斎さんから筆者に、久しぶりにLINEのメッセージが来た。緑を生かした玉浦西の地域づくりが評価され、国土交通大臣の賞に決まったという。丁寧に整理された資料を自宅で見せられた。地元で11月にある授賞式にも「必ず来い」と何度も言ってきた。根負けして出かけるとカメラを渡され、記録を残すよう頼まれた。いつも斎さんは裏方に回り、撮る側だったのに。

 実は10月にも10日ほど入院し、家族は医師から「もってあと数カ月」と告げられていた。本人は知らされなかったが、察していたのだろうか。

 12月に入り、体調が急激に悪化した。

 10年は決して短い時間ではない。「周りの人に恵まれた」と、斎さんはよく話していたという。多くのものを失い、多くを得た歳月だった。だからといって、急いで行かなくてもよかったのに――。

 同じ二野倉出身で、親しかったまちづくり住民協議会前会長、小林喜美雄さん(73)は「健ちゃんの分も頑張って、みんなでもっともっといい街にする」と取材に語った。(編集委員・石橋英昭

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