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 「私たちがこれまで過ごしてきた20年もの月日は、今振り返るとあっという間ではあったものの、とても多くの経験を重ねてきました。」

 大槌町成人式の壇上で、港川有紗さん(19)は新成人を代表して、こんな風に「誓いの言葉」を語りかけるはずだった。しかし、出席通知が7割以上集まりつつあった昨年末、新型コロナウイルスの感染拡大で、式の中止が決まった。

 10年前の3月11日午後2時46分。大きな揺れの後、大槌町立吉里吉里小の児童たちは運動場に出た。4年生だった港川さんもその一人だった。学校は高台にあったが、津波が町をのみこみ、運動場のフェンス近くまで民家が流れてくるのが見えた。「家や家族はどうなったんだろう」と心配した。

 児童や教職員は、さらに高い場所にある寺まで逃げた。6年生だった兄の大成さん(21)も一緒だった。数日後、両親ときょうだい3人の家族全員が無事に集まることができた。「いつどこで家族に会えたのだろう」。港川さんの津波直後の日々の記憶は、すでにあいまいになっている。

 自宅は全壊した。受賞したばかりの書道コンクールの盾がなくなり、残念だったのを覚えている。両親が記録し続けていた幼い頃の写真やビデオも流された。「それまでの自分が消えてしまった気がした」

 1カ月以上、小学校や旧中学校の体育館で床にシートを敷いて寝泊まりした。荷物を積んで隣の家族との間仕切りにした。着替えはトイレ。自分だけの空間がないことが嫌だった。

 その後は仮設住宅で6年間過ごした。姉が高校進学で宮古市に下宿するまでは3部屋で5人暮らし。友達を家に呼びづらかった。災害公営住宅を経て、昨年夏にやっと自宅を再建できた。

 「誓いの言葉」で、震災について、どう触れようか迷った。家族を亡くした友達もいて、震災の話題は自然と避けてきた。港川さんの心には震災時の恐怖は薄れることなく残り続け、大雨が降るなどすると少しぶり返す一方、当たり前の日常を取り戻しつつあった。

 港川さんは、「教訓」として語ることにした。

 「東日本大震災で得た教訓、『命の大切さ』はこれからも私たちの心の中に存在し続けます。また、コロナウイルスの影響で人と頻繁に会うこともできなくなり、人との関係の大切さや、いつ何が起こるかわからない怖さを改めて実感したことと思います」

 そして後悔のないようにと続けた。

 「新成人の仲間に、いまの生活を楽しんでほしいです。自分がしたいことをしてほしいです」

 震災の2年後にも、町の追悼式で児童代表として誓いの言葉を述べた。「避難所に食べ物が届いた時のみんなの笑顔が忘れられない。将来はコックになりたい」と夢を語った。

 その夢は、高校生のときに変わった。大好きだった母方の祖父が認知症を患った後、亡くなった。「治す薬があれば」と、新薬の勉強をしたくて弘前大の理工学部に進んだ。

 「みんなが声をかけてくれる」故郷の吉里吉里が大好きだ。同じ経験を重ねてきた家族や友達と、この年末年始もできるだけ一緒にいた。でも、学んだことをいかせる仕事が地元にない。町に帰りやすい県内で就職先を探そうと思う。

 式は中止になったが、誓いの言葉は、町内在住の同級生が持ち寄った写真のスライドなどとともに、DVDにして新成人に配られることになった。

 家族や地域の皆様、お世話になった方々や、共に生まれ育った仲間たち、そしてこの町を支えていただいていることに感謝の気持ちを持ちながら、日々精進していくことをここに決意します。(東野真和