「原爆の火」消えては再点火していた 銘板改め再出発

松本英仁
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 新潟県十日町市でともされてきた「平和の火」が、「市民のこころの火」に名称を変えた。広島市に投下された原爆の火として受け継がれてきたが、何度も消え、再点火を繰り返していたことが判明。再びゆかりの火を運んでくるのも難しいため、平和を願う象徴として再出発することになった。

 火は、十日町市中心部にある越後妻有交流館キナーレ前の「平和の塔」でともされてきた。2003年、被爆直後の広島の火をともし続けてきた福岡県星野村(現八女市)から分火され、十日町に。原水爆禁止十日町市協議会が「星野村出身の男性が叔父を捜索中に残り火を持ち帰った」などとする由来を書いた銘板や塔を準備したという。

 だが、一昨年3月20日、火が消えているのを市民が発見。協議会が調べたところ、04年の中越地震の際も消え、再点火されていたことが分かった。火をともしてきた器具の安全装置が地震で作動したことが原因とみられる。中越地震以外にも何度か消え、そのたびに点火してきたという。

 協議会は八女市からの再分火も検討したが、遠いため運搬は無理と判断。名称を改め、「原爆の火」などと記された銘板の文章を変えることにした。新しい銘板は、八女市の平和の火や平和の塔について触れつつ、「戦後75年という節目の年に、十日町市民は改めて核兵器のない平和な世界の実現を目指し(中略)平和活動を続けていくことを誓います」と刻まれている。(松本英仁)

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