日本と中国、40年ずつ生きた 流浪の末に見つけた幸せ

有料会員記事戦後75年特集

柳沼広幸
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 生まれた中国で40年、日本に帰国して40年目。人生の半分ずつを二つの国で生きてきた。

 前橋市広瀬町2丁目の団地に住む清水真澄さん(79)。夫の李(清水)忠和さん(83)と穏やかな老後を送る。夫妻の会話は中国語。衛星放送で中国の歌や歴史番組を楽しむ。日本語しか話せない孫たちが遊びに来ると、日本語を口にする。

 真澄さんは戦時中の1941年、旧満州中国東北部)で生まれた。敗戦後の混乱期を生き延びた中国残留邦人の一人だ。

 81年12月、忠和さんと3人の子ども、義母の6人で日本に永住帰国した。日本語はすっかり忘れていた。教室に通い、家事をしながらラジオを聴くなどして日本語を学び直し、運転免許も取得した。忠和さんは自転車の部品製造会社に勤め、真澄さんは縫製会社などで定年まで働いた。

 子どもたちはそれぞれ日本で結婚し、孫は5人、ひ孫は1人。老いた夫妻に代わって子どもが買い物をしてくれ、友人も野菜などをお裾分けしてくれる。同じ団地には中国から帰国した友人もいて、「何も心配はない」と真澄さん。「平和であれば幸せです。私たちの世代は戦争で苦労をさせられた。戦争は一番悪い」

 悲惨な体験をした。

 群馬県下仁田町で大工をして…

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