【アーカイブ】(人生の贈りもの)作家・半藤一利:4 大学ボート部に熱、五輪にあと一歩

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【2014年11月20日夕刊be】

 ――1945年7月に新潟の長岡に疎開し、まもなく終戦を迎えます

 長岡中学に在籍し、勤労動員で地元の工場でのんびり働いていたら、8月に入り、長岡市街も空襲で焼けました。

 終戦の日は、昼前に工場の作業をやめてラジオを聴きました。「耐え難きを耐え」という言葉が聞こえたので、戦争に負けたとわかりました。友達とは「おれたちの人生は終わりだ」と話していました。奴隷としてカリフォルニアやハワイに連れて行かれる、といううわさ話を信じていました。

 ――終戦後、家族はみんな東京に戻ったのに、1人で長岡にとどまったそうですね

 がっくりきた父は長岡で静かに暮らしたかったようですが、母は「越後の雪の中で沈むのはたまらない」と。大げんかの末、母はいったん1人で東京に戻り、11月ごろに家族を迎えに来ました。父と3人のきょうだいは母と帰京しましたが、私だけ中学を終えるまで残りました。というのも、当時私は「英語の天才」と呼ばれて、良い気持ちでした。東京の中学では戦時中も英語を習ったのですが、長岡中学は英語の授業がなく、他の人よりできたのです。

 ――1947年に一高を受験して失敗。翌48年に旧制浦和高校に進学します

 一高の受験で上京したら、東…

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