[PR]

 少産多死といわれる時代。身内だけで故人を送る家族葬や、改まった葬儀を行わない「直葬」「ゼロ葬」が広がるなど、最期の別れのあり方も変化を見せている。遺体を整え棺に納める納棺師が葬儀全般をプロデュースする会社を立ち上げた木村光希さん(32)は、ある納棺の風景が忘れられない。大事な人を亡くした喪失感の重さを教えてくれた少女の一言を胸に、理想の葬儀を模索しているという。

きむら・こうき 1988年、北海道生まれ。2013年に納棺師養成の「おくりびとアカデミー」、15年に納棺師による葬儀のブランド「おくりびとのお葬式」を設立。近著に「だれかの記憶に生きていく」(朝日新聞出版)。

 2008年に公開され、米アカデミー賞外国語映画賞に輝いた映画「おくりびと」で、納棺師は広く知られるようになった。とはいえ、仕事に対する世間の理解はなかなか深まらず、納棺師自身が葬儀社の下請けに甘んじることも少なくない。納棺師には公的な資格制度がないこともあって、技量や仕事への向き合い方にもばらつきがあるという。木村さんは納棺師の若手リーダーとして、2019年にはNHKの番組「プロフェッショナル」に出演するなど、時に葬儀業界の常識と摩擦を起こしながらも、納棺師の仕事の質と社会の理解の向上に取り組んできた。

大学時代から仕事 海外で技術指導も

 納棺の所作や技法を独自に高め、映画「おくりびと」で演技指導もした納棺師業界の第一人者を父にもつ。木村さんはそんな父親を手伝って大学時代に仕事を始め、卒業後は韓国や台湾などで技術指導もした。帰国後の2013年、納棺師を養成する「おくりびとアカデミー」と、納棺技術の向上などをめざす「日本納棺士技能協会」を立ち上げた。さらに15年には納棺師が葬儀全般を請け負う葬儀社を設立し、「おくりびとのお葬式」のブランドで展開している。「下請けの私たちが元請けをするのはタブー中のタブーでした。当時は、どうせうまくいかないだろう、みたいなことを言われたりもしました」。だが少しずつ理解は広まり、現在では1都4県や北海道、静岡、愛知などに14店舗を出店。5年後には全国展開をめざすまでに至っている。

 子ども時代に納棺の儀式のまねをして遊んだこともあるという木村さんは、納棺師の仕事を通じて若い頃から多くの別れの場に立ち会ってきた。大切にしているのは、故人の生前を知ってその人生に共感を持ち、遺族の喪失感や悲しみに誠実に向き合い、寄り添うことだという。だが、葬儀の現場では自分の感情を入れ込むことを極力抑え、意識の8割以上は納棺師が本来するべきことを完璧にミスなく仕上げることに集中させるように心がけている。それがプロとしての自分を律してきたバランスだったが、そのバランスが揺さぶられたことがあった。2年半ほど前のことだ。

 18年の初夏、神戸の納棺師が脳卒中で倒れた。関西への出店準備をともに進めていた、10歳上の仕事仲間だった。急報を受けて東京から駆けつけた。だが、病院にどうやってたどりついたのか、今も思い出せない。治療室に入ろうとすると、「パパ起きて」と呼びかける家族の声が中から聞こえた。思わず外に立ちすくんだ。

 その仲間はもともと別の葬儀社…

この記事は有料会員記事有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

この記事は有料会員記事有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

この記事は有料会員記事有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

この記事は有料会員記事有料会員記事です。

2種類有料会員記事会員記事の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら