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 【岩手】巨大津波に襲われたとき、防潮堤は壊れるのか、壊れないのか――。そんな議論を巡り、岩手分のデータだけが非公表となる事態があった。

 昨年4月、北海道から東北北部の太平洋で、マグニチュード9以上の地震発生時に予想される津波の高さが公表された。内閣府の有識者検討会がまとめ、津波に伴う浸水想定図が示されたが、岩手沿岸については明らかにされなかった。

 「住民に不安を与えかねない」。震災後に整備された防潮堤は津波が越えた場合すべて壊れる、という前提に一部自治体が反発した。最悪の事態を想定するためだったが、岩手分だけ防潮堤が壊れない「参考」ケースも示されたことで地元自治体の理解が得られ、5カ月後に公表された。

 その結果、防潮堤が壊れる場合は浸水し、壊れない場合は浸水しない「グレーゾーン」が生まれた。震災で57人が犠牲になった宮古市の鍬ケ崎(くわがさき)地区もその一つ。一帯には高さ10・4メートルの防潮堤があるが、「少なくともそれ以上の津波が想定されている」と市の担当者。昨年10月に開かれた住民説明会では2パターンの浸水域を示した上で「最悪のケースに備えて避難を徹底してほしい」と呼びかけた。説明会に参加した金沢英司さん(78)は「分かりにくい。どちらかに統一してもよかったのでは」。

 大槌湾に面する釜石市片岸町では高さ14・5メートルの防潮堤ができた。新たな想定では越水するがどれくらい浸水するか詳しくはわからない。「防潮堤だけでは命を守れない。大事なのは避難。準備を急がないといけない」と町内会の山崎長栄副会長(74)。地元の自主防災組織が防災倉庫や避難路の再点検を進めている。

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 新たな想定では災害時に司令塔の役割を果たす役場庁舎の浸水も指摘された。

 釜石市の現在の本庁舎は防潮堤が倒れた場合、6・7メートル浸水するとされた。市は100メートル山側に新庁舎を建設し、2023年度の開庁をめざしてきた。しかし、防潮堤が壊れた場合、新庁舎は巨大地震で地盤が81センチ沈下し、その分浸水するとされた。新市庁舎建設推進室の藤井圭一室長は「庁舎は街づくりのための経済的な拠点にもなる。もり土などの対策をする」として予定通り、建設を進める考えだ。

 久慈市の3階建て庁舎は5・3メートル浸水、防潮堤が壊れなくても1・5メートル浸水するとされた。田中淳茂・消防防災課長は「市役所が被災した場合の代替施設は決めている」という。

 南海トラフ地震の津波被害が懸念される地域でも行政機能の停滞が懸念されており、和歌山県湯浅町は役場と消防庁舎を高台に移転し、高知県黒潮町も役場と保育所を高台に移した。

 防潮堤が壊れる、壊れないの議論は防災体制づくりにも影響を及ぼす。岩手県は震災後の11年12月、浸水シミュレーションを公表した。沿岸で計画中の防潮堤ができあがり、津波が越えても壊れないという条件だ。一方、震災後にできた「津波防災地域づくり法」に基づき、都道府県は津波が防潮堤を越えた場合は全壊するケースを想定した津波浸水想定の作成を義務づけられているが、岩手にはまだない。

 いつできるのか。このたび内閣府から新たな浸水想定が示されたことで、県は有識者や自治体の意見を基に検討を進めているが、作成時期を明らかにしていない。沿岸自治体は県の浸水想定を受けて一次避難所などを記したハザードマップをつくる。しかし、宮古市は「県の発表を待ってはいられない」として、2月上旬に作成して、全世帯に配布する計画だ。

 岩手大学理工学部の南正昭教授(都市計画学)は「『最悪の被害』に備えるための仕組みをつくることに最重点を置くべきだ」と強調。今後、各市町村が作成する避難計画について「防潮堤が壊れる場合と壊れない場合の二つの基準があると避難の判断が難しい。『これくらいで済むかもしれない』と安全側に意識が働くことも危険だ」と指摘する。(藤谷和広、大久保泰、太田原奈都乃)

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