「満月の夕」は三線に乗って 月を恐れる人々に届いた曲

大阪社会部・新垣卓也
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 三線(さんしん)の音を聞くたび、心が安らぐ。沖縄出身の私は、幼い頃から色々な場所で沖縄民謡を耳にし、小学校では伝統芸能「エイサー」を習い、踊った。

 1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災をきっかけに生まれた、ソウル・フラワー・ユニオンの曲「満月の夕(ゆうべ)」。初めて聞いた時も、やはりその三線の音に心引かれた。

 なぜ三線を? 震災取材の担当となり、曲をつくったバンドのボーカル・中川敬さんに会って取材する機会があったので、尋ねてみた。

 当時、沖縄民謡にハマっていたのがきっかけだと中川さんは言う。ルーツミュージック(土着の音楽)が切り離されている現代に、沖縄民謡酒場が存在することに衝撃を受けたという。

 沖縄出身者らが多い大阪市大正区で三線を買い、遊び感覚で弾いていた。震災が起きたのはその頃だった。

 「避難所は、お年寄りや障害者、弱者が取り残されているような気がする。歌いにいかへん?」

 震災が起きてすぐ、メンバーの一人からそんな提案があり、電気を使わない三線を片手に避難所などを回った。

 選曲は「相当悩んだ」と中川さん。孤立しがちなお年寄りが楽しめるよう、日本の民謡や朝鮮民謡を含めた20曲ほどを披露し、「阪神タイガースのメガホンをマイク代わりに使った」。

 震災から約1カ月後にたどり着いたのが、焼け野原になった神戸・長田にあった南駒栄公園。中川さんは震災の日と同じ満月を見て、被災者が「満月怖いなぁ」とつぶやくのを聞いた。被災者たちの無力感、一変した街の情景、それでも前に進んで欲しいという願い――。それらを歌詞にし、三線に乗せ、「満月の夕」が生まれた。

 震災があった時、私は3歳。関西に地縁血縁もなく、約7年の記者生活で被災者の話を聞く機会もなかった。

 そんな自分だが、沖縄の音色、三線が奏でる「満月の夕」を通じ、震災が身近になった気がした。神戸や東北の被災地のほか、若手ミュージシャンたちに曲が歌い継がれていることを知り、誇らしくも思った。

 震災から26年。この先も歌い継がれ、震災と人々をつないで欲しい。(大阪社会部・新垣卓也)