迫害受ける同胞、日本から支える ロヒンギャの指導者

中村瞬
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 「ふるさとに帰りたいけど、帰れない。殺されるかもしれないから」

 群馬県館林市苗木町の会社社長水野保世(ほせ)さん(52)の本名は「アウンティン」。仏教国のミャンマーで迫害されている少数派のイスラム教徒ロヒンギャだ。来日28年。館林には1999年から住んでいる。

 当時、館林に住むロヒンギャは数人だった。迫害を逃れて偽造パスポートなどで来日する人が続き、「2006年までに70人のロヒンギャが住むようになった」とアウンティンさん。01年にロヒンギャの妻と結婚し、3人の子どもに恵まれた。他にもロヒンギャの女性を呼び寄せて結婚した男性は多い。子どもが増え、270人を数える日本最大のロヒンギャコミュニティーになった。

 立場はさまざまだ。定住や永住の在留資格を持つ人、不法滞在ながら一時的に拘束を免れている「仮放免」の人……。仮放免状態だと就労や国民健康保険への加入ができない。生活費や医療費を仲間が支える。アウンティンさんは、立ち上げに関わった「在日ビルマロヒンギャ協会」の副会長として、難民認定を日本政府に働きかけている。

 コミュニティーが大きくなる過程で、地域住民からは「どういう人たちなのか」と不安がる声のほか、ゴミの分別や夜間の騒音に対する指摘もあった。ロヒンギャの中には車の運転に免許が必要だと知らない人もいた。「認めてもらうにはルールを守ることが大事。そうしないと、みんな幸せになれない」。アウンティンさんは、そう仲間に説いて回った。

 アウンティンさんが故郷を遠く離れたのは、故国の民主化運動がきっかけだった。高校生だった88年に始まった運動に身を投じた。何人もの仲間が軍政下の弾圧で殺され、自身も3回拘束された。命の危険を悟り、90年7月に単身タイへ。マレーシアバングラデシュサウジアラビアを経て、92年11月に知人を頼って来日した。茨城・日立、埼玉・大宮、そして館林。「英語はあまり通じないし、お祈りする場所もない。来てすぐのころは困ってばかりだった」。だからこそ、仲間のために尽くし続けている。

 工場で必死で働いてためたお金で06年、中古の車や家電を輸出する会社をつくった。07年には市内の中古住宅を購入し、イスラム教の礼拝所であるモスクに改装した。モスクでは子ども向けの「アラビア学校」も開く。平日の午後6~8時、イスラム教の教えや祈りの作法を教える。食事もイスラム教の戒律に従い、口にするのは「ハラル」と呼ばれる料理に限られる。市内にはハラル食を扱うスーパーもできた。館林市学校給食センターによると、地元の小中学校の給食には戒律で禁じられている食材が使われることもあるため、弁当を持参する子どもが多いという。

 故国でのロヒンギャへの迫害や差別は続く。18年にはクラウドファンディングで集めた資金と私財でバングラデシュのロヒンギャ難民キャンプに学校を建設。生活物資や新型コロナウイルス対策のためのマスクを送る活動も続ける。

 15年、日本国籍を取得した。「ミャンマーでは自由に活動ができない。日本人になってロヒンギャ支援とミャンマーの民主化のための活動を続けよう」。そう決意したからだ。「日本には自由がある。平和であることは、何より素晴らしいことです」(中村瞬)