マゲ結えなくなったら引退、は本当?薄毛力士への対処法

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抜井規泰
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 ちょうど150年前の1871(明治4)年。大相撲は、存亡の危機に直面していた。

 「散髪脱刀令」

 髪形は自由、という意味だったが、明治維新直後の混乱期、社会に誤って伝わり、マゲを切らなければならない法律が生まれたと勘違いされた。黒髪をバッサリ切ってしまう女性も続出。東京市(当時)などが慌てて、女性が理由なく断髪することを禁じたほどだ。もっとも、油で固めた女性の髪は洗うのも一苦労で、喜んで切った人もいたともいわれるが……。

 文明開化、そして明治政府の欧化政策で世の中が急速に変化する。旧習を廃し、欧米の文化を取り入れることで近代国家を建設しようとする空気の中、大相撲は「蛮風だ」とされた。

 「社会の欧化」といえば聞こえはいいが、江戸の文化・風習は時代遅れの烙印(らくいん)を押され、国内は一気に「欧米かぶれ」になった。

裸はダメ、「相撲絶対禁止論」も

 《ざんぎり頭をたたいてみれば 文明開化の音がする》

 歴史の教科書にも載っている明治初期の囃(はや)し歌は、こう続く。

 《ちょんまげ頭をたたいてみれば 因循姑息(いんじゅんこそく)の音がする》

 さらに、「裸体禁止令」が出された。マゲを結い、寸鉄身に帯びず裸で戦う大相撲は、まさに、時代に逆行する「蛮風」とされた。

 相撲の理解者もいた。西郷隆盛伊藤博文、板垣退助らが擁護に回った。しかし、相撲=野蛮という見方は強まるばかりで、「相撲絶対禁止論」まで叫ばれるようになっていった。

徒競走に綱引きで勝ち取った存続

 そこで、「相撲会所」(現在…

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