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 【宮城】政治学者の飯尾潤さん(58)は、永田町と霞が関を熟知する政策通だ。震災後にできた復興構想会議の検討部会長を引き受け、官僚たちに知恵を絞り出させて、実質的に提言をとりまとめた。「創造的復興」の10年後、見えてきた教訓は何ですか?

 ――津波被災地では、集団移転などのハード事業が終わりつつあります。

 「創造的復興の柱の一つは、従来の原形復旧を超えて、災害後の公費投入の範囲を広げたこと。何度も津波被害に遭ってきた沿岸部を、安全なまちにつくりかえることができた。被災地からの人口流出をメディアは指摘するが、あれだけの費用をかけなかったら、ふるさとに戻る住民はもっと少なかっただろう」

 「一方で、集団移転などに加わらず、自力で都市部などで再建した人(単独再建)は、想像した以上に多かった。被災自治体は認めたくないことだが、災害を機に人々が移動するということを、どう取り込むべきか。一人一人の被災者の復興と、地域の復興との関係は難しい問題だ」

 ――どう考えればいいでしょう。

 「震災復興では、皆が一緒に移り住むという『元のコミュニティー再建』が強調された。単独再建の多さを踏まえれば、『新しいコミュニティーを創る』ことも考えるべきだ。域外への移住者が被災地とゆるやかな関係を保てるようにするのも、一つの方策だ」

 ――創造的復興のもう一つの柱とは何ですか。

 「東北の被災地を、日本の最先端のモデルに変えることをめざした。構想会議の提言には、技術革新を通じた新産業・雇用の創出や地域包括ケアの体制整備、被災者がITを使いこなすことなどを盛り込んだが、これらは難しかった」

 「ただ、被災地で様々なNPOの活動が生まれ、経験を積んだ。多くの若い人も入った。ソフトの支援、人の支援が広がったことは、大きな進歩だった」

 ――震災後も災害が多発し、被災者生活再建支援金の支給範囲が広がるなど、国は「公費投入」を拡充させています。

 「無原則に拡大しているように見える。いつも手厚い復興政策があり、災害が起きたら全て助けてもらえるという認識、勘違いが広がると、人々の事前の備えを阻害する。住民が危険な場所に住まない、地震保険に入っておくなど、災害に自ら備える動きを後押しするような政策も必要だ」

 ――菅義偉首相の持論は「まず自助を」です。

 「いや、基本的に災害時は平時に比べ、公助が拡大する局面だ。共助も重要。ただ災害時についても、公助と自助をどう組み合わせバランスをどうとるか、災害時の公助から平時の自助へつなぎ目でどう受け渡すか。原則のところからもっと議論しなければ」

 ――次の巨大災害時、財源がどれだけあるか不透明です。人口減も進む。復興はどうあるべきでしょう。

 「『縮小復興』ということを考えてはどうか。区域は縮むが、みんなが幸せになること。減災を前提に、働く場や生活に必要な機能を集約するコンパクトなまちの復興だ」(聞き手=編集委員・石橋英昭、渡辺洋介)

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 いいお・じゅん 政策研究大学院大教授。五百旗頭真、御厨貴両氏と復興構想会議の議長団を担った。