全盲ろうの79歳、指点字とメールが開いた世界

中村通子
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 全く見えず、全く聞こえない人を全盲ろうという。私を含む9人が受講する岡山県盲ろう者向け通訳・介助員養成講座2年目コース(全8回)の授業4回目では、全盲ろうの浅井義弘さん(79)=岡山市中区=が半生を振り返り、通訳者に望むことを語った。

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 講演は先月末、津山市内であった。幼い頃は色と明暗が分かる程度だったが、浅井さんは友達と元気に遊び回り、家でも自由に動いていたため、家族は視力の悪さに気付かなかった。そのうち徐々に見えなくなり、大学病院で「緑内障」と診断された。

 盲学校卒業後、鍼灸(しんきゅう)師として働いた。聞こえにくくなったのは30歳前後で、43歳で聴覚障害3級と認定された。その時はまだ補聴器の助けで家族の会話やテレビの音声は聞きとれた。

 57歳の夏、突然地獄に突き落とされたような朝が来た。起きると、何も聞こえなくなっていた。「これでは働けない。死にたい」と泣き続けた。原因は分からないままだ。

 どん底の自分を救ったのは、鍼灸院の客の一言だった。「わしはあんたの技術にほれとる。だから、仕事はやめるな」。妻も客の症状や要望を聞き、点字で通訳するなど支えてくれた。73歳まで二人三脚で鍼灸の仕事を続けた。

 この間、「岡山盲ろう者友の会」にも入会。ここで先輩会員らから指点字を学び、通訳を支えにパソコン講習を受けた。仲間とメールでやりとりできるようになった。

 リタイア後の今の楽しみは、晩酌のつまみづくりだ。レシピの点訳本を参考に、包丁もフライパンも自在に扱う。「指点字とメールが、新しい世界を開いてくれた。指点字を教えてくれた師匠は大恩人。感謝しかない」

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 浅井さんは自分の声で発信できるが、受講生の反応や質問は通訳介助者の合図や指点字を介してしか分からない。

 講演後、受講生が代わる代わる、浅井さんの指にたどたどしく点字を打って会話をしていた時のこと。浅井さんが苦しそうな表情を浮かべた。指がしびれてきたという。受講生の技術が不十分で、指を打つ力加減やリズムが悪く、苦痛を強いていたのだ。

 全員と言葉を交わし続けた浅井さんは、最後に受講生に強く訴えた。「何も出来ないかわいそうな人だから、と決めつけ、勝手な判断や指示を押しつけてくる通訳者を経験してきた。そうされると、私たちは何も言えなくなる。一人一人それぞれの必要なことをきちんと見極め、それに応じた支援をしてください」

 かわいそう――。その気持ちは、一つ間違えば当事者の心を踏みつける暴力にもなる。盲ろう者たちにどう寄り添っていくのか。私の答えはまだ見つからないが、まずはできることから。覚えたての点字で、浅井さんに年賀状を書いた。

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 今回、講師を務めた浅井義弘さんが「新しい世界を開いてくれた」と語った「岡山盲ろう者友の会」(事務所・岡山市北区、約90人)が所在をつかんでいる県内の当事者は17人で、うち13人が会員だ。だが、2012年の全国盲ろう者協会の全国調査によると、県内で聴覚・視覚両方の障害者手帳を持っている人は173人。村上京子事務局長によると残りの人たちは市町村も把握していないといい、「どこでどう暮らしているのか」と懸念する。

 村上さんには苦い思い出がある。5年ほど前、ある行政職員から90代の盲ろう男性を紹介された。それまで行政はこの男性の存在を把握しておらず、驚いて、友の会に支援の協力を求めたのだった。男性は「点字とパソコンメールを学びたい」と希望。友の会メンバーが数回訪問したところで、病気のために県外で入院し、連絡は途絶えた。「もっと早く出会えていたら、いろいろな支援ができたのに……」

 なぜ、こんなことが起きるのか。

 村上さんは、盲ろうが独立した障害として認められていないため行政の理解が乏しく、実態把握すら進んでいないとみる。「見えず聞こえない人も、さまざまな手段で意思疎通し、社会参加ができます」と友の会(086・227・5004、電話は月水金、ファクスは24時間)への連絡を呼びかけている。(中村通子)