「稲むらの火」の偉人 知られざる感染症対策への功績

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藤野隆晃

拡大する写真・図版和歌山県広川町役場前の、たいまつを掲げた浜口梧陵の像=2015年12月4日午後0時52分、和歌山県広川町広、森本大貴撮影

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 津波が来ることに気づき、稲に火を付けて住民を避難させた「稲むらの火」の逸話で知られる江戸から明治期の実業家、浜口梧陵(ごりょう)(1820~85)。その彼が感染症対策に私財を投じていたことはあまり知られていない。梧陵の功績を知る人は、新型コロナウイルス禍の今こそ、日本の医学にいかに貢献したかも知ってほしいと願う。

 梧陵は1820(文政3)年、現在の和歌山県広川町で生まれた。数え年12歳で、実家だった現在のヤマサ醬油(千葉県銚子市)の事業を継いだ。広川町にいた1854(安政元)年、大地震による津波が村を襲った時は、稲むらに火を放って住民に避難を促したとされる。

拡大する写真・図版浜口梧陵=和歌山県広川町教育委員会提供

 防災分野で取り上げられることの多い梧陵だが、医学にも関心を持っていた。「稲むらの火の館」(広川町)の崎山光一館長(71)によると、広川と銚子や江戸を行き来していた梧陵は、銚子で知り合った蘭方医(らんぽうい)の三宅艮斎(ごんさい)らから医学の知識を得た。これまでの漢方では十分な治療ができないと感じていたのではないかと推測する。

 崎山館長は梧陵の医学に対す…

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