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 核兵器を史上初めて全面的に禁止する「核兵器禁止条約」が22日に発効した。「ようやく核兵器がない世界の扉の入り口まで来た」。そんな期待を寄せる被爆者が京都府内にいる。

 この日、条約発効を記念して平和団体が京都市内で集いを開いた。原水爆禁止京都協議会の関係者など約80人と一緒に参加した京都市北区の花垣ルミさん(80)は、5歳のとき、広島の爆心地から約1・7キロの親類宅で被爆した。

 「あの日」のことは、ショックからか直後に記憶から消えてしまい、戦後に別の親類を頼って京都に移り住んだ。だが、2003年8月6日、初めて孫と広島での平和記念式典に足を運び、帰宅後に訪れた場所などを文章にまとめていたとき、記憶が一気によみがえったという。

 爆風でタンスと窓の間に挟まれ、竹でできたタンスの釘が頭に刺さったこと。生後10カ月の弟を背負った母親らと逃げる途中、犬や猫が仰向けに死んでいる姿や、水たまりに顔をつけてうつぶせで息絶える人たちを見たこと。山積みになって焼かれる遺体のにおいや光景を前に、母親に「見ちゃダメ」と抱きしめられたこと――。

 「怖くて震えが止まらなかった」。でも徐々に、「逃げずに向き合わなければ」と思うようになった。

 05年、核不拡散条約(NPT)再検討会議にあわせて、被爆者グループの一人として訪米。米ニューヨークの高校で、ある被爆者の証言を聞いた高校生が泣きながらこう語った。「原爆投下は終戦のために必要だったと教わった。でも原爆に遭った人がこんなに苦しみながら生きてきたなんて知らなかった。私はどうしたらいいですか」。理解しようとする姿勢に希望を感じ、自らも証言することを決意した。

 帰国後、府内を中心に証言活動を開始。08年には佛教大の学生が花垣さんをモデルにした紙芝居を作ってくれた。今は紙芝居を使って大学や高校、病院に出向き、年30回ほど講演している。10年からは、米国でも語っている。

 米国のある生徒は「原爆を落としてごめんなさい」と涙を流した。そんな時、必ず伝える。「戦争になれば人間は何だってしてしまう。アメリカが嫌いなんじゃなくて戦争が嫌いなの」。帰国後、「わたしたちの平和への思いを強めてくれた。何かしなくちゃと思わせられた」といった手紙が届いた。「自分の役目を少しは果たせたように思った。世界中の人の命の重みは同じで、話し合えば、必ず伝わると感じています」

 昨年10月下旬、条約の批准国・地域が発効に必要な50に達したと知った。亡くなった被爆者に「もう原爆は落ちないから大丈夫」と伝えられると、うれしさがこみ上げた。だが唯一の被爆国・日本は参加していない。日本が率先して動けば発効に75年もかからなかったとの思いは消えない。

 「人間がつくった核兵器は人間がなくせる。生きてる間に、なんとしても日本に参加してほしい。残された時間は限られています」(高井里佳子)

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