将棋盤生産日本一 茨城木工社長・泉謙二郎さん
全国の将棋盤の約8割が茨城県神栖市で生産されている。かつては5社ほどあったが、現在は唯一、碁盤と将棋盤を年間約5万枚製造する茨城木工で、30年ほど前から社長を務めている。
会社がある波崎地区は漁業が盛んで、利根川を挟んで対岸にある千葉県銚子市には何軒ものしょうゆ会社があった。木造船が繊維強化プラスチックに、木だるが樹脂製や金属製に変わっていくのにつれ、船大工やたる職人たちは碁盤や将棋盤を作るようになった。
茨城木工の前身は1956年設立で、鹿島灘産のハマグリで白い碁石を製造・販売した常陸工業だ。だが10年もたたずにハマグリが激減したため、将棋盤と碁盤の製造・販売に転換をはかった。
転機は約40年前。取引先の社長と「脚付きの高級品に特化するか、普及品を主力にするか」と話し合った時、「まずは愛好者を増やすことが重要」と一致し、普及品を主力にすることに。
数十万円する高級品に対して、普及品は数千円~2万円台で利益率は低い。「もうかる値段に上げればいい、というものではない」と、手作業だと1人1日100枚が限度だったマス目を印刷に変えようと考え、電子部品のプリント基板の技術を応用する方法にたどり着いた。
「伝統工芸品に機械で手を加えるのはおかしい」という意見もあったが、都内の百貨店で手描きと印刷の両方の盤を並べて販売してもらった。すると、線の太さもマス目も均一だった印刷の方が高値にも関わらず多く売れた。
脚付きの高級な盤は、畳に置くとちょうどよい高さだが、テーブルの上だと目の高さになる。住宅事情の変化も追い風になった。
1996年に羽生善治氏が七冠を達成すると空前の将棋ブームが起きて、将棋盤の製造量が急増。2017年に藤井聡太氏が29連勝を達成した時は、45センチ×42センチの碁盤用木地を33センチ×30センチの将棋盤用にカットして使った。
「誰が教えるのかという大きな問題はあるが、小中学校が授業に将棋を取り入れてくれればうれしい」と期待する。(村山恵二)
有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。