「これで生きていく」島の漁師、魚価低迷でも海へ出る

伊東邦昭
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 【愛媛】恵みの海。島に生まれた人々は、時に荒波にもまれながら、目の前に広がる海に希望を見いだしてきた。

 「風もない、波もない。冬なのにこんなにいい天気はないよ。普段は西や北の風が強くて、白波が立って、手もかじかむのに」

 前日までの曇天と風が収まった昨年12月21日。松山沖の忽那諸島の西端、山口・広島県境に近い津和地(つわじ)島の港を、金子丈広さん(59)の船がハマチの一本釣り漁に出発した。

 東隣の怒和(ぬわ)島との間の津和地瀬戸で、数カ所のポイントを移動しながら、7本の針がついた糸を垂らしては引く。「前の日は3キロサイズのヤズ(ブリの若魚)が120匹釣れたんよ」

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 島周辺には、水深が30メートルから60メートルまで急に深くなる場所があり、ハマチやタイ、アジなどの好漁場。金子さんは島で、父の代からの造船所と一本釣り漁の二足のわらじをはいてきた。

 25歳のころから造船所で漁船の建造や点検、修繕をしていた。ドックに船を入れに来た島のベテラン漁師らに「漁に来んね」と声をかけてもらったのが、漁を始めたきっかけだった。

 港が漁船であふれかえっていた時代。ドックにいると「タイが釣れたとか、今アジが釣れるとか、漁師からの情報がいっぱい集まってね」。最初は遊び感覚で船を出していたが、漁に必要な道具を漁師に作ってもらい、潮の流れや「山立て」を教えてもらった。

 「山立て」とは、島影など海上から見える風景から自分の現在地や漁場のポイントを知ること。漁をする上で大切な知識だ。

 「本当は海で実際に教えてもらうものだけど、造船所の作業が忙しくて、船の点検に来たお年寄りの漁師さんに島影の絵を描いてもらって。『絵を頼まれたのは初めてよ』と笑われた」

 40代から漁業に本腰を入れ、今は愛媛県漁協中島三和支所の副運営委員長を務める。頭を悩ませるのが、魚価の低迷だ。ヤズもタイも例年の半値。新型コロナウイルスの影響による需要減も、のしかかる。

 節約になればと、釣り糸の先につける重りは買わず、建築資材の鉄筋を切って使っている。それでも、「ヤズは1キロ150円。3キロサイズを100本釣っても、市場に持っていって手数料とか燃油代とか引いていくと3万円にもならん。これじゃあガッカリよ」。金子さんの表情は曇る。

 この日の成果は、ヤズ2匹と、ヤズよりさらに小さいワカナが1匹。「小潮だから魚探(魚群探知機)にも全然映らん。天気はいいのに、潮には恵まれんかったね」

 こんな日は家に帰って寝た方がええわい。笑って、港へ引き返した。

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 島の港では、ゴチ網漁をしてきた福吉忠吉さん(69)、由美子さん(68)夫妻が、取れたタイを船からいけすに移していた。この日のタイは41キロ。「今は取れん時期」と忠吉さん。春の桜鯛(さくらだい)の季節になれば、子持ちのタイなどで100キロぐらい取れることもある。

 若いころ島を出ていた忠吉さんは、28歳の時に戻り、父と一緒にゴチ網漁とミカン畑の半農半漁の生活に入った。父から網の作り方などを5年かけて学び、船長を引き継いだ。

 漁師歴40年の忠吉さんでも、「潮の流れはいまだに難しい」。魚が多い岩場周辺で袋状の網を引くが、潮が思った以上に速いと網が岩場に引っかかり、破れてしまう。逆に潮が止まっていると魚がかかる袋の部分がうまく膨らまない。「同じ潮は二度とない。一生勉強」だと忠吉さんは言う。

 夫婦で漁をして20年。魚価の低迷と高齢化が相まって、津和地島でも漁師は急速に減っている。島に戻ったころ、タイ専門のゴチ網漁師は12軒あったが、今は忠吉さんを含め2軒。「昔は魚の単価がいいから、人を雇って男4人、2隻でゴチ網を引いてたんよ」

 島の漁業を取り巻く現状は厳しい。それでも夫婦は、海に出る。

 「楽に稼げた方がええ。でもこれで生きていかないかんのじゃけえ。そういう気持ちでみんな船造ってる。長男で、島に帰った時点で腹をくくってる。ダメならまた島を出よう、っていう気持ちじゃ無理よ」(伊東邦昭)