[PR]

 新型コロナの感染拡大により、様々なことに制限がかかっている。特に地方の観光業や街おこしは終わりの見えない自粛ムードに深刻な状況が続いている。

 私の地元、愛知県東海市は洋ランが名産だ。愛知県は「花の王国」で、産出額は60年近く日本一。東海市は県内有数の生産地だ。

 例年であれば今ごろ、さまざまな洋ランが展示される「東海フラワーショウ」が開かれる。ただ、今年は新型コロナウイルスの影響で大幅にイベント規模を縮小することになった。私は何か地元のために出来ることはないかと、イベントや洋ランの紹介をユーチューブで配信している。

「認めてもらえなかった」幼少期

 そういうと、「地元のためにすごいですね」と言われそうだが、実はそんなことはない。私は大人になるまで地元の東海市に対する愛着はほとんどなかった。

 これには理由がある。小学校に上がる前の話だが、私は4歳上と1歳上の兄たちの姿を見ていて、自分も兄たちと同じ小学校に通うのだと思っていた。しかし、私は名古屋市の特別支援学校に小中高と通うことになった。

 5歳のとき、私は母になぜかと聞くと、「東海市では認めてもらえなかった」とだけ答えた。まだ小さかった私は、「認めてもらえない」という意味はわからなかったが、母の寂しそうな表情だけは覚えている。

 12年間、名古屋の特別支援学校に通い、卒業後は自ら働く場をつくろうと会社を立ち上げた。はじめは事務所を借りられる資金の余裕もなかったので、自宅を仕事場にしていたが、私は余裕が出たら名古屋に拠点を変えようと考えていた。

 また、県内の障がい者の友人たちは「自治体にしっかり支援してもらいたいなら、名古屋に引っ越したほうがいいよ」と助言した。私が「サポートしてもらいたいってどういうこと」と聞くと、友人たちは「名古屋はまだいいけど、他の市では障がい者への理解も支援も手薄で暮らしにくい」と言った。そして、多くの障がい者はいつも決まって最後にこう言う。

 「自治体は、もっと障がい者の気持ちに寄り添うべきだ」

一人の市議と出会い、変わった

 起業して数年経ったある日、私は一人の男性と出会った。彼は東海市議で、私の会社で名刺を作ってくれた。はじめ、寝たきりの私を見て驚いていたが、すぐに意気投合し、彼は新たにつくろうとしている、東海市での少年野球チームについて熱く語り出した。

 地元で交友関係もなければ、ましてや寝たきりの自分には無縁の世界だと思っていたが、「素晴らしいですね。私も応援しています」と社交辞令で答えた。

 すると、数日後。彼から一本の電話があった。「応援してくれると言った少年野球のチームだけど、みんなと話し合った結果、君は名誉顧問になることが決まった。早速だけど、子どもたちに講演会をやってもらえないだろうか」

 すぐに状況が理解できなかった私だが、彼は電話口で「寝てる場合じゃないぞ」とユーモラスに言い、続けて、「地元の子どもたちのために頑張ってみてください」と言ってくれた。

 この瞬間、はっとした。それまで人に頼むことは多くても、人から何かを頼まれることはない人生だった。そしてなにより、東海市に何かをしてほしいと思ったことはあっても、自分が東海市のために何かしようと思ったことは一度もなかった。

 それに気づいた瞬間、私は心のなかで風が吹いた感覚がした。

 障がい者から聞いていた「自治体は、もっと障害者の気持ちに寄り添うべきだ」という言葉や、私のように自治体から小学校の入学を認められなかった過去を気にするのが恥ずかしくなった。

 私は提案を受け、東海市の少年野球の名誉顧問となり、私は中学生の子どもたちの前で講演会をすることにした。それからも、積極的に市内の小中学校で講演をしたり、自らが出演するメディアでは積極的に東海市をPRしたりした。すると、これまで地元の交友どころか、近所でも私のことを知らなかった人たちからも、「応援してるよ。頑張ってね」と声をかけられることが増えていった。

「できることで貢献を」

 その数年後、私は東海市のふるさと大使になった。全国的にも自治体が設けている観光大使やふるさと大使の制度で、寝たきりの障がい者が選ばれるということは異例だという。私をふるさと大使に選んでくれた市長や地元の皆さんには心から感謝している。地元のPRだけでなく、会社では市内の障がい者や高齢者を支える仕組みづくりも始めた。

 私は障がい者だ。理屈抜きで大変なことは多い。どうしても周りに助けてもらわないといけない場面も多い。だから、多くの障がい者が自治体に自分の権利を主張するのも理解できる。だが、私自身の反省や自戒の念を込めて、障がい者にはこう問いたい。

 「あなたは自分のできることで、一度でも地元に貢献しようと考えたことはありますか」

 障がい者として、東海市に助けてもらうことも多い。ただ、私は助けられた分だけ、同じように東海市を助けてあげられる、そんな人間になりたい。

佐藤仙務

佐藤仙務(さとう・ひさむ)

1991年愛知県生まれ。ウェブ制作会社「仙拓」社長。生まれつき難病の脊髄性筋萎縮症で体の自由が利かない。特別支援学校高等部を卒業した後、19歳で仙拓を設立。講演や執筆などにも注力。著書に「寝たきりだけど社長やってます ―十九歳で社長になった重度障がい者の物語―」(彩図社)など。ユーチューブチャンネル「ひさむちゃん寝る」では動画配信も手がける。