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 1月の生活面の料理連載「ごはんラボ」で、いりこを使った料理を紹介していた日本料理人の林亮平さん(44)は、香川県丸亀市生まれです。京料理を学んだ後、自身のルーツである瀬戸内海の手島(てしま)にちなんで「てのしま」と名付けた店を東京・南青山に開き、これからの郷土食を提案しています。

 ――コロナ禍で飲食店は厳しい状況です。

 緊急事態宣言から店の営業時間を短縮し、思うようにはいきません。ただ、料理人という職業を選んだことは間違っていませんでした。店で作りたての料理を食べていただきたい思いに変わりありませんが、オンラインで家庭に向けて料理を伝えたり、生産者と消費地のつなぎ役をしたりと、様々な場で料理人は役立つことに気づきました。可能性は広がっています。

 ――なぜ料理人に?

 子どものころから料理が好きで、京都での大学時代は自炊サークルを立ち上げました。アルバイト先の中国料理店ではレタスチャーハンをどれだけ作ったことか。料理の道を歩くと決めて、日本料理の最高峰で学ぼうと京都の「菊乃井」に入りました。店の仕事と共に大将(主人の村田吉弘さん)の和食の海外普及活動に関わり、世界17カ国で料理をしました。日本料理とは何か、外から見る経験でもありました。

 料理の方法論でいうなら「うま味」を軸に水を多用して、油脂をそぎ落として構成されている。椀(わん)ものは典型ですね。紡いできた長い歴史、海に囲まれた風土がそうさせたわけです。各国の料理人が集まる場に立つと、新しさや個性を競うようで、深いところで互いの文化を背負っているのがわかる。いま自分が作る料理が、親を飛び越え、過去の人たちとつながっている感覚を持ちました。

 ――それが郷土料理への関心につながるのですね。

 なぜこの食材を使ったのか、誰がこの組み合わせを考えたのか、郷土料理は不思議に満ちた世界です。しかも現代の科学で検証すると、理にかなっていることが多い。

 身近すぎて、家族で話題にしたこともない「いりこ」もそうでした。質のよいイワシと太陽のある瀬戸内の環境から生まれて、すぐれた保存食であり、力強いうまみを持っています。京料理で昆布とカツオのだしを使うのは、海から遠い都に力で素材を集め、都市と共に料理を発展させたから。背景が異なります。

 いりこのだしは、菜っ葉を煮ても、みそ汁を作っても、家庭料理に万能です。味わいは素朴でも、長年作り続けられ、食べ続けられてきたこと自体が、郷土料理の洗練だと思うのです。

 一方で全国を訪ねると、一次産業が衰え、天然の食材は年々とれなくなり、技術を持っていた団塊の世代が世を去り始めている現実を目の当たりにします。食の足元がおぼつかなくなっていることへの議論を避けて、いま料理の仕事はできません。

 ――塩飽諸島の手島で取り組んでいるのは?

 手島は父の故郷で、毎年帰っています。波止場までいつも見送りに来てくれるおじさんに、言われたことがあるんです。「この先もし失敗をすることがあったとしても、お前には帰る場所があるぞ。この島がそうだ」。僕は30代で、海外の仕事が増え重圧も感じていました。帰る場所があるからこそ、思い切って外に、遠くに出て行ける――。そう後からわかりました。

 17年働いた「菊乃井」から独立するとき、いずれ手島で店を開くことを、自分たちのプロジェクトにしました。人口減が進む島に、残された時間はそう長くはありません。小さくても自活できる仕組みを作りたくて、手始めに島のお土産を住民の人たちと作る準備を進めています。

 食材は、海を渡ってきて島民を悩ませるイノシシです。全国各地に肉を使った郷土食があるでしょう。その知恵を借りながら、新たな島の味を考えます。(聞き手は編集委員・長沢美津子)

     ◇

 はやし・りょうへい 1976年、香川県丸亀市生まれ、岡山県玉野市育ち。大学卒業後に京都の日本料理店「菊乃井」に入り、主人の村田吉弘さんに師事。2010年の上海万博で日本産業館内の料亭で料理長をつとめるなど、世界各地で日本料理を普及する活動にも取り組む。18年に東京・南青山に「てのしま」を開店。妻の紗里さんとスタッフ2人の4人で切り盛りしている。

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