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 大阪府高槻市の芥川山城(あくたがわさんじょう)跡で、櫓(やぐら)の機能を持っていたとみられる蔵の跡が見つかり、市が発表した。戦国時代後期に近畿、四国に勢力を広げた三好長慶(ながよし)(1522~64)が城主だった時期で、城を権力誇示の象徴にした時代の先駆けだった可能性がある。

 芥川山城は標高182メートルの三好山に築かれた戦国期の広大な山城。市は昨年11~12月、山頂の本丸より一段下の曲輪(くるわ)を調査し、建物跡を確認した。

 4・2メートル四方に置かれた礎石と、内部の床を支える束石(つかいし)のほか、「塼(せん)」と呼ばれる高さ27センチ、幅22センチの瓦製の板が建物を囲むように地面に差し込まれていた「塼列(せんれつ)建物」だったことが判明した。

 ほかの12の曲輪でも大きさが異なる塼が多数見つかっており、塼列建物が立ち並んでいた可能性が高い。

 長慶は1553年、将軍足利義輝と対立し、将軍方の武将が立てこもった芥川山城を奪って7年間本拠地とした。56年に城は火災に遭った記録がある。建物跡は焼土の上にあり、火災直後に建てられたらしい。

 塼列建物は防湿性に優れ、当時は貿易で栄えた堺などで見られる高価な建築構造だった。山城での発見は長慶が芥川山城の次に本拠地とした飯盛城(大東、四條畷両市)や置塩城(兵庫県姫路市)などほかに4例のみだ。

 建物は大阪平野が見渡せる崖の…

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