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 プロ野球パ・リーグの記録部長を長年務めた千葉功(ちば・いさお)さんが亡くなったことが27日、わかった。85歳だった。

 数字好きだった千葉さんが、公式記録員の道に進んだのは名将・三原脩の一言に出会ったから。「野球は数字のゲーム」。プレーヤーとしてではなく、後楽園球場で試合を見ながら、ラジオの実況中継を聞きながらスコアブックを付けたことから、この道に進んだ。

 1954年、パ・リーグに就職。97年に退職するまで記録部一筋だった。球場では公式記録員として、安打、失策を判定し、スコアを付けた。そのかたわら、記録からみた野球の面白さをつづった、「週刊ベースボール」誌上の連載「記録の手帳」を61年から始めた。野球記録の不思議さや、試合の「あや」を数字から示してくれたのは、千葉さんと、報知新聞記者だった宇佐美徹也さんが大きな先達だった。

 東京・銀座にあったリーグ事務所や球場で、自責点の判断や、野手選択の概念などを分かりやすく教えてもらったのを思い出す。毎年刊行される「公認野球規則」の序文を書き続けたのも千葉さんだった。夏の甲子園で朝日新聞スポーツ部の記者が務める公式記録員を担当した際、判断に窮して、千葉さんに電話で判断を仰いだこともあった。

 パ・リーグ退職後の肩書は「ベースボール・アナリスト」。8畳間の仕事部屋で毎朝、新聞をスクラップし、ノートに角張った字で書き写して整理する。ペンとそろばんと電卓から生まれた記事だった。

 ライフワークのように続けていた「記録の手帳」の連載は「2632回、カル・リプケン・ジュニアの大リーグ連続試合出場記録の数字には並びたい」と話していたが、最終的には2897回に及んだと聞いた。

 千葉さんと一緒に、真冬の12月に米ニューヨーク州クーパーズタウンにある米国野球殿堂博物館に行ったことがある。オフシーズン、観光客がほとんどいない静かな町並みだった。木造2階建てのホテルの食堂で、チリコンカンを食べながら、「こういうところにこもって、記録を調べてみたいなぁ」とつぶやいていたのを思い出す。

 「(日本の)野球殿堂博物館から僕がつけてきた手書きの記録を寄贈して欲しいと言われているんだよ」とも話していた。その殿堂に、特別表彰で入って欲しかったが、生前にかなわなかったのが個人的には心残りだ。(根岸敦生