追悼・なかにし礼 盟友浜圭介が語る、託された最後の歌

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聞き手・定塚遼
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 「石狩挽歌(ばんか)」「ホテル」「よこはま物語」……。昨年12月23日に82歳で他界した作詞家・作家のなかにし礼さんとタッグを組み、日本の歌謡曲の黄金期を支えるヒット曲を数多く世に送り出した作曲家の浜圭介さんが、盟友・なかにしさんを語った。「浜、あれは頼むぞ」。晩年、なかにしさんに託された歌があったという。

拡大する写真・図版なかにし礼さん=2018年

 「あなたの過去など 知りたくないの」。僕が歌手と作曲を両立してやっていた1960年代半ばに、そんな歌詞が耳に飛び込んできました。菅原洋一さんの「知りたくないの」。カントリーの曲に日本語詞を付けたのがなかにし礼さんでした。その後の礼さんが書いた菅原洋一さんの楽曲も鮮明に印象に残っています。あんな歌詞はそれまでの歌謡曲になかった。「すごい詞を書く人だな」と意識しました。

 調べると、中国の旧満州から引き揚げて、北海道と青森で育った、という経歴も、僕と同じだった。それから僕にとって礼さんは、絶えず強烈に意識する存在になりました。

 「いつかなかにし礼さんと仕事をしたい」。そんな風に思っていました。初めて仕事を一緒にする機会があったときは、もうめちゃくちゃうれしかった。それは結局色々あってお蔵入りになっちゃったんだけどね。

机の上の1枚の紙 書かれていた詞は衝撃だった

 その数年後のある日、北海道に旅行に行って帰ってきたら、僕のデスクに礼さんからの曲の依頼の紙が置いてあったんです。北原ミレイさんが歌った75年の「石狩挽歌(ばんか)」でした。「海猫が鳴くから ニシンが来ると 赤い筒袖の ヤン衆がさわぐ」「破れた網は 問い刺し網か 今じゃ浜辺で オンボロロ」――。情愛を歌うことが多かったいままでのなかにし礼さんの世界とはまるで違って、「こんな詞を書くんだ」とびっくりした。かつての北海道のニシン漁を、時代考証もして文学的な表現で語っていた。

拡大する写真・図版なかにし礼さん=2011年

 詞は何回も何回も読み返しました。僕は小学校のころから石狩っちゅうのはしょっちゅう遊びに行ってたんですよ。あのときの鉛色した海の色と寒空は鮮明にイメージにあって、それは絶対に外したくないと思った。

 でも、礼さんの詞を前に力が入ったのか、いくらたっても曲ができなかった。自問自答して、やっと北海道の「ソーラン節」というキーワードが浮かんでから、メロディーができた。ギターで歌ってみたら、鳥肌が立つぐらい良かった。

「石狩挽歌」がなければ「舟唄」はなかった

 それまで歌謡曲で16分音符…

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