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 滋賀県栗東市六地蔵の高野(たかの)遺跡で、平安時代初期(8世紀末~9世紀初め)の東海道とみられる道路跡が見つかった。県文化財保護協会が28日、発表した。江戸時代に整備される以前の東海道の詳しいルートは分かっておらず、貴重な発見という。

 高野遺跡は古墳時代前期(4世紀)を中心とした集落跡。県の圃場(ほじょう)整備工事に伴い、昨年4月から約1万2千平方メートルを発掘調査したところ、東西方向に並行する2本の直線の溝跡(各幅約1メートル、深さ20~50センチ)が、断続的に長さ約100メートル分見つかった。

 2本の溝跡の間は約15メートル。協会は、溝跡の間に同時期の建物跡がなかったことから、溝跡は側溝で、間には幅15メートル以内の直線道路があったと判断した。溝跡から出土した土器の年代から、平安時代初期を中心に使われていたとみられる。道路の規模は大きく、幹線道路だったらしい。

 高野遺跡の周辺では、江戸時代の東海道が東西方向の約2キロにわたってほぼ直線に整備されたが、同遺跡付近は南側に迂回(うかい)していた。古代の道は直線に造られることが多く、遺跡付近は古代の東海道の推定地だった。協会は、今回の道路跡を、位置や規模から古代の東海道の可能性が極めて高いと判断した。

 ただ、今回見つかったルートは平安初期以降は使われなくなったらしい。担当者は「近くの野洲川などがしばしば氾濫(はんらん)し、水害を受けにくい南側の高い位置に移されたのだろう」と推測する。

 また、高野遺跡から西へ延びるルートは、二つの説が考えられている。そのまま西に直進し、東山道(中山道)と合流する説と、現在のJR手原駅付近で南西に向きを変え、途中で西に直進する説だ。後者のルートは、途中で道の一部とみられる遺構が5カ所確認され、有力視されている。

 現地説明会は、新型コロナウイルス感染防止のため実施しない。協会のホームページ(http://shiga-bunkazai.jp/別ウインドウで開きます)に資料を掲載する。問い合わせは協会(077・548・9780)へ。

大津宮遷都のころか

 今回の道路跡について、北海道教育大の中村太一教授(古代史)は「平安初期の東海道とみて間違いない」と話す。その上で「道自体ができたのはもっと古く、飛鳥時代の667年に天智(てんじ)天皇が大津宮(おおつのみや)に遷都した頃ではないか」と推測する。

 根拠は、今回の道路跡付近で見…

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