「光秀は僕」 本能寺の変直前、麒麟がくる脚本家が語る

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宮田裕介
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 NHKの大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」(日曜夜8時)は、2月7日に最終話を迎える。クライマックスの本能寺の変は、一体、どのように描かれるのか。脚本の池端俊策が、NHKを通じて報道各社が寄せた質問に答えた。明智光秀は「僕だと思って書いていました」と言い、本能寺の変は「心の痛みを描いた」と語る。

拡大する写真・図版「麒麟がくる」の脚本を務める池端俊策=2017年撮影

 ――全44回を書き終えた今の心境はいかがでしょうか。

 前回、大河ドラマの脚本を書いたのは、室町幕府を描いた「太平記」(1991年)でして、150年近く続いた鎌倉幕府を滅ぼした足利尊氏(真田広之)のお話でした。今回の「麒麟がくる」は、200年以上続いた室町幕府を滅ぼす流れを作った人物たちのお話です。古いものと新しいものとのはざまで何かを変えていくというのは、やはり重荷だし苦しいんですよね。そういった点では、似たような人物を描いたなという実感があり、歴史は繰り返すんだなと思いました。

 物語の後半は、一人一人の心理の葛藤が、書いていておもしろかったです。もちろん、それぞれ個性的な登場人物だったということもありますが、緊張感を強いられる中で人間を見つめるという作業はこのドラマの中でできたかなと思っています。

 ――主人公・光秀への思いをお聞かせください。

拡大する写真・図版最終回を迎える大河ドラマ「麒麟がくる」の一場面。明智光秀役の長谷川博己(NHK提供)

 光秀は僕だと思って書いていました。そこに、長谷川さんが見事に入り込んでくれたなと思います。光秀は相手が言ったこと、行動したことに反応する“受ける芝居”が多くて、脚本も「……」となっていることが多いです。解釈の仕方や受け止め方、大げさに反応したらいいのか、ちらっと瞬きをする程度の反応なのか、大変難しい役だったかと思います。僕は光秀が長谷川博己さんで大正解だったと思っています。

 ――光秀と信長の関係性を描…

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