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安藤直彦さん(89) 名古屋市

 名古屋市中区のいまの地下鉄久屋大通駅の近くに住んでいた。空襲で焼かれる前は江戸時代の町並みが残り、小さな自営業の家がほとんど。うちもご近所相手の呉服商だった。

 おやじは昭和16(1941)年10月、召集された。海軍の陸戦隊です。38歳だったが、大正の軍縮時代にも軍隊に行っており、海軍にとっては貴重な経験者だったらしい。フィリピンに敵前上陸し、ラバウル、ニューギニアまで行った。「死の行進」を生き延びて、19年はじめ、病院船で帰ってきた。家にも1週間ほど戻ってきたが、栄養失調で顔がむくみ、叔母は誰か分からなかったそうだ。同年8月ごろ、また南方へ出撃命令です。お袋に連れられ、僕ら子ども3人も広島の呉に会いに行き、最後の別れをした。

 戦後、生死が分からなかった。お袋は新聞に復員の記事が出ると、目を皿にして読んでいた。「20年4月、ルソン島で戦死」という公報が届いたのは23年ごろ。白木の箱は名前が書かれた紙だけが入っていた。

 名古屋空襲で家が焼かれたのは…

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