ノモンハン見下ろす1枚の写真 半藤一利は何を語ったか

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編集委員・永井靖二
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 1939年に日本軍とソ連軍が死闘を繰り広げたノモンハン事件の戦跡を調べている民間調査団に、私は4回同行した。現地はモンゴルの首都・ウランバートルから東へ約1200キロ。草原に続く轍(わだち)を車でたどること、丸3日の道のりだ。

昨年夏に公開した「プレミアムA 大戦の起点と終止符」。ノモンハン事件の戦跡を取材した永井靖二・編集委員が、事件の意義を解説するとともに、取材の裏話を披露しました。

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大草原の道なき道 揺さぶられること2万7千回

 「ノモンハン事件日蒙共同調査団」に同行したのは2009、14、15、19年の計4回。車両の往来による轍は、生い茂る草により時が経つと微妙に場所を変える。現地の運転手もよく道に迷った。団長の岡崎久弥氏はそんな“道なき道”を、ほぼ10分おきに全地球測位システム(GPS)で北緯と東経を地図に書き込みながら、ルートを決める。

 特にノモンハンに至る3日目は、長時間悪路を走行する。モンゴル東部の街チョイバルサン(旧名サンベース)から戦跡のハルハ河畔まで約480キロの道中、時には車の天井にたたき付けられるほど揺れる。14年の取材時、ポケットの歩数計を見ると、10時間で2万7千歩以上を示していた。平均して1分間に45回余、揺さぶられ続けたことになる。

 こうした現地調査は例年初夏まで。草が茂って地面の凹凸が見えにくくなる時期を避けるためだ。初夏とはいえ、草原は寒暖差が激しい。14年の調査の際は、6月2日の正午過ぎにタムスク巨大陣地の手前で42・7度を記録。ところが翌年5月2日には、そこからあまり離れていない場所で吹雪に見舞われた。

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