「天下布武」 信長の朱印状は窯を制限する権威になった

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戸村登
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 織田信長が陶器作りのお墨付きを陶工に与えた「信長朱印状」が岐阜県多治見市文化財保護センター(同市旭ケ丘)で公開されている。開催中の市制80周年記念企画展「信長朱印状と陶祖の窯」の展示の一つ。2月12日まで、原本も特別公開されている。

 「天下布武」の印が押された公開中の「信長朱印状」の原本は、同市有形文化財に指定されている。瀬戸の陶工、加藤市左衛門が天正2(1574)年に信長から与えられたもので、定説では、朱印状は久尻(同県土岐市)に移り住んだ弟の与三兵衛景光(市左衛門と同一人物との説も)に託され、その子孫で、多治見の陶祖となる半右衛門景増が寛永18(1641)年に多治見に移り住んだため、多治見に移動したとされている。

 企画展では、領地内での瀬戸焼の商売を許す「織田信長制札」(愛知県瀬戸市指定文化財・個人蔵)や、朝廷が官名を与えた「加藤筑後守口宣(くぜん)案」(個人蔵)などの古文書も展示。信長の朱印状が移動した経緯を探っている。

 信長朱印状は「瀬戸焼物の窯…

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