大火砕流に埋もれた車両、30年ぶりに姿 雲仙・普賢岳

小川直樹
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 1991年6月3日の雲仙・普賢岳長崎県)の大火砕流に巻き込まれて火山灰に埋まった車両3台が8日、長崎県島原市で30年ぶりに掘り起こされた。現場は報道陣の撮影ポイントだった「定点」付近。住民らは3月、この一帯を災害遺構として整備し、車両を保存展示する。

 大火砕流では43人が犠牲となった。このうち報道関係者16人とタクシー運転手4人が死亡したのが普賢岳山麓(さんろく)の定点付近だった。

 消防団員12人が犠牲になった、近くの研修所跡地は18年前に遺構として整備された。一方、定点は「マスコミに巻き込まれた」との住民感情もあって整備は手つかず。「このままではいけない」と、住民有志らが30年の節目を前に動いた。

 この一帯は災害対策基本法に基づく警戒区域に指定され、普段は一般の立ち入りが制限されている。8日は、住民有志らが立ち会う中、整備を担う地元造園業者が半日がかりで、タクシー2台と車両1台を掘り出した。毎日新聞の車両のトランク付近からは、カメラの望遠レンズや「写真部」と刻まれた一脚らしきものが見つかった。

 男性運転手が犠牲になった「小嵐タクシー」の石橋雅一社長(65)は、30年ぶりに車と対面。「やっと会えた。(犠牲者も)ものすごく苦しかったろう」と話し、言葉を詰まらせた。(小川直樹)