ミャンマー国軍が1日に起こしたクーデターで、アウンサンスーチー氏が拘束された。スーチー氏はかつて軍政下で民主化運動を主導し、これまで国家顧問として国民民主連盟(NLD)政権を率いてきた。民主化に貢献したとして1991年にノーベル平和賞を受賞し、ミャンマーでは絶大な人気を誇る。一方で、国際社会では近年、少数派イスラム教徒ロヒンギャへの迫害を許しているとして、平和賞の剝奪(はくだつ)を求める声も上がった。スーチー氏とはどんな人物なのか。ロヒンギャ問題での弱腰の背景には、どんな事情があったのか。40年以上の親交を持つ日本人の友人や、ミャンマー政治に詳しい専門家に聞いた。
スーチー氏は現在75歳。ミャンマーで「建国の父」として知られるアウンサン将軍の長女として生まれた。1964年には英国のオックスフォード大学に留学し、哲学や政治学などを学んだ。85年に来日し、京都大学の研究員として日本に滞在したこともある。
元同志社大非常勤講師の大津典子さん(81)は、75年に英国でスーチー氏と知り合ってから40年以上にわたって親交を深めてきた。スーチー氏と「スー」「ノリコ」と呼び合う仲で、2年ほど前に東京で再会した時には、スーチー氏が滞在していたホテルの部屋で一緒にうな丼を食べた。大津さんは「彼女は大のうな丼好き。2人の中で日本食と言えば、暗黙の了解でうな丼なのです」と語る。
英国に住んでいた頃は、日常生活のスーチー氏の様子も目にしたという。大津さんによると、スーチー氏は料理が上手で、米やエビを炒めてつくったミャンマー料理を自宅で振る舞ってくれた。「味は絶品だった」という。
買い物も好きで、一緒にバー…