「モノ言えぬ」社会はじわりと来る 大本教弾圧100年

有料会員記事

編集委員・藤生明
[PR]

 ちょうど百年前。大正デモクラシーという「うたかたの自由」を切り裂く宗教弾圧があった。「世直し」を説いて急拡大していた大本教を狙った第1次大本(おおもと)事件だ。その後、日本は関東大震災をへて、治安維持法下の「モノ言えぬ社会」へと転げ落ちていった。平和な世の中だからこそ考えたい。私たちの社会は健全ですか。

 「さながら戒厳令

 教団史「大本七十年史」は当日の異様さをそうつづっている。

 約200人の警官がいまの京都府綾部市に集結。いたる所に警官が立つ中、不敬罪と新聞紙法違反の疑いで、大本教本部の一斉捜索が始まった。1921年2月12日。紀元節の翌朝だった。

 「爆裂弾はどこに隠した」「どこに10人を生き埋めにした」。捜索は続いたものの、「国家転覆を企てる陰謀団体」という捜査当局の見立てにあてはまる物証はなかった。

 「大山鳴動ネズミ一匹も出ず、ですよ。そんなものがあるはずがありません。つつましい教団なのですから」。教団の山田歌(うた)総務部長(57)はそう語る。

拡大する写真・図版第1次大本事件で、破壊された大本教本部の神殿=1921年、現・京都府綾部市(宗教法人大本提供)

「邪教」のレッテル

 「第1次大本事件」は、近現代史上の宗教弾圧として、その名を知られる。教団の最高幹部、出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)らが収監され、開祖出口なおの墓は強制改築され、中心的な神殿も破壊された。

 1935年には第2次事件も起きた。「被害はそちらのほうが甚大でした。ただ、第1次で淫祠(いんし)邪教という印象が全国に流された。大きな痛手でした」と山田部長は話す。第2次事件で祖父が投獄され、「邪教」のレッテルに苦しめられた祖父や父から迫害・差別の歴史を聞いて育った。

拡大する写真・図版第1次大本事件で、強制的に改築させられた大本教の開祖出口なおの墓所=1921年、現・京都府綾部市(宗教法人大本提供)

 教団が捜査当局に狙われたのは、急成長のゆえだった。

 大正デモクラシーの風が吹いた大正中後期は、同時に国内外の社会情勢が激しく揺れ動いた時代でもある。

 17年、ロシア革命。

 18年、米騒動

 19年、朝鮮で三・一独立運動。

 第1次世界大戦の景気で「成り金」が現れた一方、貧富の差が拡大し労働・小作争議が続発した。

 そんな社会不安の中、大本は…

この記事は有料会員記事有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

【5/11まで】デジタルコース(月額3,800円)が今なら2カ月間無料!詳しくはこちら