こんなに大きな手のひらは見たことがなかった。
12歳の少年が、プロ野球東北楽天ゴールデンイーグルスのエースだった田中将大投手と初めて対面した場所は、東日本大震災で避難所となった小学校の校庭だった。
2011年3月11日。宮城県東松島市の大曲小6年だった坂本樹(たつき)さんは、卒業式に向けた準備をしていた。経験したことのない大きな揺れが起き、教室中がパニックに陥った。
悲鳴や泣き声が響く中、校庭に飛び出した。一度帰宅することになり、家族や親戚と合流した。
自宅の玄関は物が散乱し、中に入れなかった。
「津波が来たよー!」と近所の人が叫んだ。海側の道路の200メートル先あたりに、ひざ下くらいの高さの黒い水が見えた。近づいてくるのが分かり、走った。
校門近くで父親が波にのまれたが、なんとか泥水をかきわけて一緒に校内へ。3階の教室に逃げ込んだ。
家族で身を寄せ合い、約1カ月の教室での避難生活が始まった。
廊下から大人たちの泣き声が聞こえてきた。行方不明の家族を捜しに、教室を訪れる人たちがいた。
同級生3人が亡くなったことは、1週間ぐらい経ってから知った。「先のことは何も考えられなかった」
父親に長靴を買ってもらい、再び自宅を訪れたのは4月に入ってからだった。
2階建ての1階は浸水し、知らない自動車が壁に突き刺さっていた。ヘドロだらけで室内は見えず、トイレは逆流していた。
この頃になって、「プロ野球の楽天が来るらしい」という情報が避難所に伝わってきた。
地元の少年野球チームに入っていた坂本さんは楽天ファン。でも「こんな田舎だし、OBとかだろう」。
現役選手ではないとしても、誰かのサインはもらいたい。そう思い、自宅のがれきをかき分けた。
一つだけサインをもらうのに使えそうなボールが泥だらけで見つかった。
玄関近くに置いた大きなドラム缶にたまった水で丁寧に洗った。そして、握りしめて小学校へ走った。
4月8日。球団のバンが校庭に入ってきた。ドアが開き、大きな影が見えた。
田中将大投手だ。
選手会長の嶋基宏選手もいる…