走る 跳ぶ ファッション 可能性広げる「足」をつくる

池田良

拡大する写真・図版職場にある義肢の展示室に立つ臼井二美男さん。「日本で最初に義足を着けたのは江戸から明治に活躍した歌舞伎役者だという説もあります」=2021年1月、東京都荒川区、池田良撮影

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 病気や事故で体の一部を切断した人は心にも深い傷を負う。すぐに心を通わせるのは難しい。「痛みや違和感はありますか?」「義足で可能性が広がりますよ」。手で触れながら、丁寧に話し合う。どんな暮らしを、人生を送りたいのか、その思いをくみ取る。

 職場は義足・義手製作やリハビリを担う公益財団法人鉄道弘済会・義肢装具サポートセンター(東京都荒川区)だ。研究室長として30人余りの義肢装具士ら技術陣を束ねる。昨年、国が卓越した技能者を表彰する「現代の名工」に選出された。

拡大する写真・図版職場で義足を調整する臼井さん=2007年、東京都新宿区

 義足の装着感を左右するのは、足を入れる部分だ。通常は足の長さなどを測定して作るが、臼井さんは目と手の感覚でその人の体の特徴をつかむ。「人は動くと筋肉の位置が微妙にかわる。歩く癖もそれぞれ。体の成長や衰えも見据えて、その人の足をつくる」

拡大する写真・図版職場の工房に立つ臼井さん。就職してからこれまで体調不良で休んだことがないという。「実は小学校から高校まで皆勤だったんだよね。体が丈夫なのかな」=2021年1月、東京都荒川区

 最初から目指した職ではなかった。

 大学を中退しバーテンダー、トラック運転手などの仕事を転々とした後、手に職を付けたいと思い訪れた職業訓練校で、たまたま目にとまったのが義肢科だった。ふと、小学6年の時の担任教師のことを思い出した。

拡大する写真・図版小学6年生の林間学校の行事での記念写真。後列左は担任教師の高橋浩子さん、同右は臼井さん=高橋さん提供

 担任の高橋浩子さん(76)は、その年の12月にがんで入院し左足を切断。臼井さんは友人とお見舞いに行き、卒業後にはクラスメート全員で復職した高橋さんに会いに行った。その時、高橋さんの義足を見て、衝撃を受けた。

拡大する写真・図版小学6年生の担任教師だった高橋浩子さん(左)と写真に納まる臼井さん。現在は臼井さんが高橋さんの義足をつくっている=2018年、臼井さん提供

 記憶に導かれ、28歳で現在の職場に入りキャリアを積んだ。その頃は義足はあくまで生活のためのもので運動をするという発想はなかった。そんな中、当時最先端のカーボン製品の存在を知り、米国から部品を取り寄せて手を加え、ある女性に試してもらった。伴走者と一緒に2~3メートル、わずか5歩。だが、走れた。その姿と涙を見た時、心は決まった。

拡大する写真・図版クラブでは子どもからお年寄りまでが気軽に参加して運動を楽しむ=2019年8月、東京都荒川区

 1991年、義肢の人が運動を楽しむクラブを都内に創設。子どもから高齢者まで現在250人が登録し、走り、ジャンプし、汗を流す。鈴木徹さんや大西瞳さんらパラアスリートも輩出し、自身も2000年のパラリンピック・シドニー大会から5大会連続で選手に同行しサポートしている。

拡大する写真・図版練習後、クラブに参加した人たちが集合写真に納まった。毎月の活動が30年続いている=2019年8月、東京都荒川区

 これまでに3千人超の義足をつくってきた。その中にはかつての担任、高橋さんもいる。臼井さんがメディアに出るようになると便りがあり、再会できた。

拡大する写真・図版クラブで談笑する参加者たち=2019年8月、東京都荒川区

 現在は後輩を指導しつつ、3Dなど最先端技術の活用も試みている。「完成品はないよ。体の一部なんだし」。好きな言葉は、「義足に血を通わせるまで」だ。モノづくりに終わりはない。(池田良)

拡大する写真・図版クラブでメンバーと体を動かす臼井さん(右)。左端はパラアスリートの大西瞳さん。毎月子どもから高齢者までが集う憩いの場にもなっている=2020年12月、東京都渋谷区