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 島根県尋常中学校と師範学校の英語教師として松江に1年2カ月滞在し、日本文化の神髄に迫ったラフカディオ・ハーン(小泉八雲)。でも、ハーンが松江に来なかったら――。そんな「歴史のイフ」に思いを巡らせているのが、松江市大庭町の教育文化施設「出雲かんべの里」館長の錦織(にしこり)明さん(72)だ。

 小学校校長だった時、子どもたちにハーンを知ってほしいと怪談などを紙芝居にした。ハーンの顕彰・研究団体「八雲会」の理事でもある。来日したハーンがどんな旅程で松江に着任したのか調べようと、著作集の年譜を見ると、兵庫の姫路で米国人のエドウィン・ベーカーと会っていたらしいと知った。

 2019年、姫路の図書館でベーカーの自筆履歴書を探り当てた。そこには松江に赴任予定だったが取りやめになった事情が記されていた。八雲会の会誌「へるん」(20年6月)に掲載された錦織さんの記事によると、次のような事情だった。

 ベーカーは1884(明治17)年に来日し、横浜や東京で英語教師を務めた。島根県尋常中学校への赴任に応じたが、籠手田(こてだ)安定知事が約束を反故(ほご)にする。自筆履歴書とは、ベーカーがその後に赴任した兵庫県尋常中学校の校長にあてたもので、「島根県知事ヨリ耶蘇(やそ)信者ハ教師ニ採用セヌトノ事」とあった。

 耶蘇とはキリスト教のこと。籠手田知事は剣術の免許皆伝で、武士道や神道を重んじた。「ベーカーは宣教師ではないが、熱心なクリスチャン。松江では当時、キリスト教と仏教・神道との『宗教戦争』とでもいえる状態があった」と錦織さん。

 松江にはベーカーではなく、カナダ人のM・R・タットルが赴任したが、任期途中で解雇された。錦織さんは教え子の証言から、生徒にキリスト教の優位さを説いたことが原因だったのではと推測する。続いて松江に来たのがハーンだったが、ハーンが島根県知事と交わした契約書には「学校生徒ニ対シ宗教ノ利害得失ヲ談論スヘカラス」との項目があるという。

 兵庫県尋常中学校の英語教師となったベーカーは、どんな人生を歩んだのか。

 石川一夫著『碧眼(へきがん)の良寛』によると、日本人女性と結婚したベーカーは、貧しい家庭の子どもを世話し、被災者の救済にあたり、自費で橋を架け、幼稚園をつくった。姫路で永眠するまで、キリスト教の博愛精神を実践した人生だった。幼稚園の流れをくむ「認定こども園ベイカ」にベーカーの頌徳(しょうとく)碑が立つが、戦時中は板で囲われて取り壊しを免れたという。

 ハーン赴任の経緯を、錦織さんは「歴史の歯車の思いがけない動き」と振り返り、「松江に来たのがベーカーだったとしても、きっと人々から尊敬されたことでしょう」と考える。

 ハーンの松江赴任の旅程を探る錦織さんの続編は、6月発刊の「へるん」次号を予定している。(小西孝司)

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