盲ろう者のお出かけ介助、真剣勝負の4時間

中村通子
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 岡山県津山市で開催中の「盲ろう者向け通訳・介助員養成講座」は1月、公共交通機関に同乗する外出介助と、光も音も全て失った全盲ろうの人への通訳を実習した。昨秋に始まった2年目コースは8回のうち6回が終了。次回は盲ろうの人たちの外出を受講生だけで通訳介助する「最終試験」がある。(中村通子)

 実習内容は、バスや鉄道への安全な乗り降り▽運賃の確認と支払い▽周囲の様子の説明――など。介助も通訳も、これまでの受講内容よりはるかに難しい。講師から説明を受け、受講生は2人1組で、一方がアイマスクと遮音耳当てなどを着用して盲ろう者役に、もう一方は通訳介助役になった。

 集合場所からタクシーに乗りJR津山駅へ。切符を買って津山線で3駅離れた亀甲駅へ向かう。亀甲駅の改札を出て一息入れ、再び列車に乗って津山駅に戻る。

 ここまででもうトラブル続出。盲ろう者役はタクシーのドアに頭をぶつけてしまい、駅の切符売り場では凹凸のないタッチパネルに2人そろって戸惑った。さらにはホームと列車のすきまをうまくまたげずに困り果てた。

 それでもよく晴れた日の外出は心が浮き立つものだ。私が盲ろう者役の時、相方は手のひら越しにこまめに周囲の様子や車窓の風景を伝えてくれ、話が弾んだ。

 津山駅からは約1キロ北の商業・文化・行政の複合施設「アルネ・津山」を目指して歩いた。到着すると、「エスカレーターに乗って下さい」と講師の指示。見えている時でも足を踏み出すタイミングをうまくつかめないのに、どうしよう。ステップ前で立ちすくむ私の手を、相方がきゅっと握って合図をくれた。「えいっ」。思い切って足を踏み出すと、ふっと体が斜め上に動いていった。

 思ったほど怖くなかったが、これは曲線型エスカレーターで、乗り降りの際の水平部分がやや長いおかげ。よくある「直線型」では踏み出すタイミングが難しく、足が段差に引っかかって怖い。実際、エスカレーター利用を拒む盲ろう者は少なくないそうだ。

 帰りは路線バスに乗って珍道中が終わった。4時間弱の真剣勝負だった。

     ◇

 盲ろう者はそれぞれ、残る視力と聴力の程度が違う。生活上の困難が最も大きいのは全盲ろうの人たちだ。講座で矢掛町の青江英子さん(67)と、倉敷市の尾藤勝一さん(76)が全盲ろう者の日常生活を語った。

 2人とも、元々聞こえず、難病の網膜色素変性症で成人後に視力を失った。

 青江さんは夫、娘との3人暮らし。15年ほど前に全く見えなくなった。家事は1人でこなし、料理は得意だが、揚げ物だけは夫に頼む。尾藤さんが見えなくなったのは70歳を過ぎてから。元家具職人で、今も家族に棚などを作るそうだ。

 2人とも「テレビが見えず、退屈だしニュースが分からない」とこぼした。コロナ禍の今は、特に不安が募るという。尾藤さんは「妻が『大画面なら見えるかも』と期待して、すごく大きいテレビを買ってきたが、やっぱり見えず、がっかりしていました」と朗らかに話した。私も思わずクスッと笑った後で、妻の思いに胸が詰まった。

 その後、意見交換会を開いた。2人とも手話を手で触って読み取る「触手話」が主なコミュニケーション手段だ。

 通訳の受講生は5分で交代。手話通訳の公的資格を持つ受講生がスムーズに伝えていく。私の順番が来た。全力でやったが、素早い手話が読み取れない。やがて、焦りで声も手も固まってしまった。

 顔中がべっとりと変な汗に覆われ、肩を落とす私に講師が声をかけた。「交代する時、盲ろう者の手を離さず、次の通訳の手にしっかり受け渡していましたね。独りぼっちにしない配慮がすごくよかったよ」

 そうか。私にも出来たことがあったんだ。伝える努力をあきらめず、「最終試験」を頑張ろう。