隔離の歴史刻む歌、譜面に起こして後世へ

田辺拓也
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 昨年11月、開園90年を迎えた国立ハンセン病療養所・長島愛生園(岡山県瀬戸内市)。歌手の沢知恵さん(50)が式典後のピアノコンサートで披露したのは、戦前戦中に入所者が口ずさんだ歌だった。国の誤った隔離政策を正当化するような歌詞の数々。入所者の記憶だけに残る「負の歴史」を後世に残そうと、聞き取りを重ねて採譜した。

 愛生園で採譜したのは計7曲。うち幼い患者が強制労働の前に歌った「愛生園少年団歌」は、入所者自治会長の中尾伸治さん(86)らに70年ぶりの記憶をたどって歌ってもらい、譜面に起こした。

 団歌は明るいメロディーで「祖国浄化のためならば」と歌う。隔離は国が病を根絶するため、と思い込まされた幼い中尾さんらの姿が目に浮かび、胸が詰まった。ほかの歌にも「我らが営む一大家族」など連帯意識をあおるようなくだりがあった。

 ハンセン病患者との出会いは生後半年、牧師の父に連れられた国立療養所・大島青松園(高松市)。子を持つことが許されなかった入所者らは特別な思いでかわいがってくれたという。再訪は歌手になっていた1996年。桟橋に並ぶ入所者が涙ながら「知恵ちゃん」と出迎えた。離れても誕生日を祝い、成長を祈っていてくれたことを後になって知った。

 コンサートや礼拝など交流を重ねるなか、歌好きな入所者が多いことに気付いた。園のカラオケ大会は歌謡番組さながら。入所者がセットから衣装まで手作りし、歌を講評しあうほどだった。

 2014年、千葉から岡山へ移住。岡山大大学院で、療養所と音楽との結びつきをテーマに研究を始めた。全国の療養所を訪ね、そこでかつて歌われた「園歌」について資料を集めたり、入所者に聞き取ったり。「一大家族」「祖国浄化」などの歌詞の意味を突き詰めようとした。

 幼くして家族から引き離された入所者は言った。「一大家族は好きな言葉やった。親なし子だったから」。別の入所者は「おれは祖国浄化のためにここに来たんや、と思うよう歌った」と打ち明けた。不遇に理由を与え、療養所に順応させようとする。そんな狙いの歌には、帰郷を諦めさせる力があったと考える。

 全国13の国立療養所には全て園歌があった。2年半の研究で歌詞を特定したのは23曲、うち21曲は譜面も整えた。1月に完成した論文では、園歌について「共同体をつなぎとめる機能を果たした」、「(入所者は)声を合わせることで懸命に生きた日々を肯定し、受容してきたのでは」と位置づけた。

 隔離政策に利用された半面、音楽は、入所者らの絶望の日々の光だった。そんな歴史も今後、伝えていきたいと考えている。(田辺拓也)

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 ――2年半の研究を終えて印象に残っているのは?

 ある国立療養所でのこと。聞き取りのために入所者に集まってもらうようお願いすると、次の日、集会所に何十人も集まってくれました。「園歌」と「歌手が来た」という言葉が誤って伝わったようで、「演歌歌手が来た」と勘違いされて……。がっかりされましたが、調査には快く協力してくださいました。

 ――入所者にとって園歌の存在は?

 家族と会えない傷心を癒やした一方、帰属意識を持たせて脱走を防ぐなど、強制隔離の一助にもなりました。隔離のため歌が利用された歴史に直面し、音楽の力の恐ろしさを感じました。採譜した園歌は全て歌ってみましたが、強制隔離を肯定するような歌詞を口ずさむのは、やはり辛かったです。

 ――今後の活動は

 3月に大学院を修了後、どんな形かは分かりませんが、ハンセン病療養所の音楽文化を研究し続けます。音楽の記録は、差別の歴史を繰り返さないための私の闘いです。

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 さわ・ともえ 神奈川県出身。東京芸術大に在学中の1991年、歌手デビュー。2001年から毎夏、大島青松園でコンサートを開いている。中学生の子2人の母。