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 【長野】前書きに「老いの繰り言と思ってご笑読を」――。元松本市職員の手塚英男さん(82)がつづる個人通信「東々寓(とんとんぐう)だより」(不定期)が発行50号を迎えた。2005年6月の第1号から15年半。一貫したテーマは「戦争と平和」だ。「気持ちがなえない限り書き続けますよ」と、憲法9条を危うくする政治情勢にペンを休める暇はない。

 昨年12月に出した節目の50号で取り上げたのは、手塚さんが同市の公民館長だった時に編んだ1990年2月創刊の文集「信州年寄り通信」。製糸女工として働いた明治生まれの伯母と母から聞いたことをまとめた自著で戦前、戦中、戦後と生きた人たちに体験談の投稿を呼びかけたことがきっかけで生まれた文集だ。

 当時の70~90代から、子どものころの暮らしや介護の身となった老後の話などが寄せられたが、多くは戦時の証言。「戦争体験を語れる最後の世代。伝え残していかなければ」と、06年8月の30号まで毎回1千部発行。臨時増刊「私の昭和史」も5号まで作った。

 ノート1冊にびっしりと書き込んだ体験談が送られてきたこともあり、読者の親族からは「棺に一緒に入れました」との知らせも。文章でしか知らない同人たちが顔を合わせる集いを催したこともある。

 時は過ぎ、この文集の書き手も読み手も作り手も多くが亡くなり、存在も忘れ去られようとしている。せめて掲載した戦争体験記251編の全タイトルだけでも一覧で残そうと、東々寓だより50号に収録。「名もなく声もなく信州の各地に生きてきた年寄りの『野の声』ともいうべき歴史的つづり方です。読んでみたい方、研究してみたい方、ご連絡ください」と記した。

 敗戦間際の45年4月に松本の開智国民学校初等科(現在の小学校)に入学した手塚さんもまた、自身の体験を踏まえた軍国主義教育の実相を調べるなど、戦争を生んだ時代にこだわる1人だ。

 「忠君愛国」をすり込んだ教育勅語や、その謄本と天皇・皇后の「御真影」を安置し、神聖化のために学校に設けられた「奉安殿」、そして当時の教育者たちの責任……。子どもたちを戦争に動員していった教育の怖さを東々寓だよりで発表したり、紙芝居で紹介したりしてきた。

 年寄り通信の戦争体験は被害の側面が目立った。「八紘一宇(はっこういちう)」「大東亜戦争」など時代錯誤の言葉も少なくない。だからこそ「加害と、戦争への抵抗も語っていかなければ」と手塚さん。戦後60年目の同通信で「憲法9条は韓国・中国・アジアの人々に侵略戦争を深くおわびし、もう二度と外国へ出かけて戦争をしませんよと宣言したもの」と書き、改憲議論に異を唱えた。

 住まいのある「松本市東部の寓居(ぐうきょ)から」との含意の東々寓だよりは、ほかに市の大規模開発や税金の使い方、介護保険、住民自治、原発問題などにも切り込んできた。最大200部は自ら印刷。東大時代の学生運動や地域ボランティア活動の仲間らにも届け、回り回って雑誌などに掲載された原稿もある。

 市職員当時は主に社会教育の現場で市民と共に歩んできた手塚さんにとって、東々寓だよりは「人生そのもので、これからを考え問いかけていく場」。51号目は、年寄り通信を再読しての所感を載せるつもりだ。(北沢祐生)

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