岩手県陸前高田市出身の写真家・畠山直哉さん(62)は、2011年3月11日の津波で、その日84歳の誕生日を迎えた母親と実家をなくした。直後に東京から現地に入り、その後も継続して故郷の写真を撮ってきた。被災前の穏やかな風景をとらえた写真と、被災直後の光景を記録した写真を合わせた写真集『気仙川』を12年に出し、その後も、『陸前高田 2011-2014』『まっぷたつの風景』といった写真集を出してきた。
「シャープな風景写真」という作風を生かし、シャッターを切ることで記憶を刻んできた畠山さんに、この10年について聞いた。
はたけやま・なおや 1958年生まれ。石灰石の採掘現場や地下水路などを捉えてきた。写真集に『LIME WORKS』『Underground』など。
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東日本大震災から3月11日で10年。様々な分野で思いを寄せる人たちにインタビューしました。
震災からしばらくは、月に1、2回、その後も2カ月に1回ぐらいは陸前高田に通って、写真を撮っていました。それが、昨年9月を最後に、先月末に訪れるまで行けていませんでした。理由は、コロナです。
岩手県は長く感染者が出ていませんでしたから。いつもは姉の家に泊まっていたのですが、7月と8月はホテルに泊まりました。以前は実家が、今は姉の家があるので、陸前高田でホテルに泊まったのは生まれて初めてのことでした。姉の顔を見たり、墓参りをしたり、そういうことも含めての撮影でしたので、どうしたらいいんだろうという気がしました。
この10年はどうだったかと聞かれると、難しいですね。長いようで短いような。陸前高田に出かけているときであれば、その場であの日からのことを考えられますが、ここしばらくは東京にずっといたので、それができませんでした。
だから自分の撮った写真を見返したり、書いたものを読み返したりして、この10年を考えるしかありませんでした。1人で部屋にいて、本を読んだりテレビを見たりすると、その世界に入ってしまう。ある程度努力しないと、過去の記憶って戻ってこない。
人間って調子のいいものですね。「忘れるものか」と思っていても、忘れます。仕方がないな、とも思いますが、だからこそ記録をして思い出す必要がある。
第2次世界大戦のことも、ジャーナリストや歴史家、作家たちが文字にして残したから、僕らは知ることができるんです。日々、覚えておきましょうって繰り返さないと、僕らはたぶん忘れてしまうんです。
記事の後半でも、畠山さんのお話とともに作品を紹介します。
■「一口で言えば面倒くさい人…