「今度こそ、家族を守る」10年前の教訓を備えにつなげ

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岩田恵実、増山祐史、大山稜 中山直樹、飯島啓史、大宮慎次朗
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 13日夜に最大震度6強の地震が襲った福島県の沿岸部。多くの人に2011年の東日本大震災を思い出させたが、「3・11」は悲しみの記憶を刻んだだけでなく、今回の地震の「備え」につながっていた。

 「前回は家族を守れなかった。今度こそは守らないと」。13日夜、大きな揺れを感じた相馬市の今田芳槙さん(55)は妻(42)と長男(12)、次女(3)と近くの避難所に避難する準備をした。10年前の東日本大震災では、当時自宅があった南相馬市で父(当時66)、母(同66)と妻(同46)、長男(同20)、次男(同16)、長女(同10)の6人を津波に奪われた。

 「津波が来るなんて思ってもみなかった」。当時の自宅と海岸の距離は約1キロ。その間には家や木々があり、海は見えなかった。震災後、全て流され荒涼とした土地を見て思った。「こんなに海から近かったのか」

 いまの自宅は海岸から約2キロ。それでも津波を心配して貴重品などバッグに詰め込みいつでも避難できるようにした。震災から10年。新しい家族と新たな生活を歩み始めた。ただ守れなかった家族の存在を忘れたことはない。14日には墓石が倒れていないか心配で、南相馬市の6人の墓に足を運んだ。「3月11日までもう少し、また来るね」。そう声をかけた。

エンジンかけていつでも出られる状態に

 「あの時と同じだ、まずい」。相馬市の鎌田三男さん(68)は、強い揺れでベッドの上から転げ落ちそうになった。その瞬間、東日本大震災の記憶が一気によみがえったという。

 10年前、津波が来ると言われてもすぐに動き出さず、亡くなった知人もいた。自身は高台に避難したため無事だったが、「あと少し判断が遅れてたらだめだった。心の準備の大切さを思い知った」。

 以来、車のガソリンは半分を切る前に満タンにし、水や懐中電灯も積んでおくようにした。「津波が来たら1分、2分が命を分ける」。今回の地震でも津波の恐れがないと聞くまで、車のエンジンをかけていつでも出られる状態にしていたという。

津波で兄を亡くした女性 「絶対安心はない」

 相馬市の北隣、新地町の女性(68)は、近くのアパートに住む高齢夫婦らと「いつでも逃げられるように着替えておいて」などと呼びかけあった。11年の震災時は、周りの住人に声かけをしないまま高台に逃げた。「あの時みんなで協力できたら、っていう心残りがあった」という。

 10年前、海の状況を見に行った兄を津波で亡くした。

 「『絶対安心』ってことはな…

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