過激な人が消えた社会 「ゆきゆきて、神軍」からの変容

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聞き手 編集委員・北野隆一
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 映画監督の原一男さんが水俣病と闘う人々を追った「水俣曼荼羅(まんだら)」が今年、公開される。型破りの「過激な人」を主人公にしたドキュメンタリーで知られる監督だが、近年は社会問題に直面する「ふつうの人々」の群像を描いている。作風が変わった背景にあるのは、自身の75年の人生と重なる戦後日本の社会の変化だという。

ずっと探した「スーパーヒーロー」

 ――原さんの作品は、戦争責任を過激に糾弾する元日本兵の奥崎謙三氏を描いた「ゆきゆきて、神軍」(1987年)をはじめ、エネルギーにあふれた「突出した個性」の主人公がまわりの人々を巻き込んでいく姿が鮮烈でした。

 「ぼくは『スーパーヒーロー』と呼んでいます。障害者差別解消を訴える脳性まひの活動家、自力出産する女性、戦争責任を追及する元日本兵、虚実入り交じる小説家……。主人公の立場はいろいろなのですが、みな表現者として自立した、強い人ばかりでした」

 ――それが、最近の「水俣曼荼羅」などの作品では、突出した主人公というより、群像が描かれています。なぜですか。

 「奥崎氏のような『過激な人』がいないか、ずっと探していたんです。金嬉老(キムヒロ)氏を主人公にした作品を構想したこともあります。68年に殺人事件を起こして静岡の温泉旅館に立てこもり、民族差別を告発すると主張した人です。金氏のお母さんに会い、刑務所出所後の身元引受人になることも検討しました。しかし奥崎氏のときのような高揚感が感じられず、映画にできないと考え、断念しました」

 「10年以上探したが、見つからない。戦後の日本人が70年代ごろまで持っていたエネルギーが衰えてしまった。平成という時代が過激な生き方を受け入れなくなり、日本はヒーローが存在できない社会になったのでしょう。撮りたい人がもういないということは、ぼくも映画監督としておしまいなんじゃないか、とさえ思いました」

 「ぼく自身が『庶民から抜け出て一旗あげたい、時代を引っ張る生き方をしたい』と思っていた。でも、自分の器量はそれほど大きくない。だから過激な生き方を実践する人にカメラを向けてのっぴきならない関係をつくり、ぼくを鍛えてもらいたい――。そんな20~30代のころからの願望を、作品に託していたんだと気づきました」

問われる民衆の「主体性」

 ――アスベスト被害者たちの運動を追った「ニッポン国vs泉南石綿村」(2017年)が転機になったと聞きました。

 「被害者は、みんなふつうで、『お上にたてつくなんてとんでもない』という人ばかり。登場人物がいい人ばかりで、撮っていてじれったいんです。奥崎氏のような怒りを込めて突き抜ける行動を、なぜとらないのかと思いました」

 「そんな人たちが、次第に『闘わなければ』と自覚が芽生えていき、裁判で勝訴をかちとっていく。いわば成長物語なのですが、撮影を終えて編集に入っても、映画として成立しているのか自信がもてなかった。でも山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映された際、観衆約30人が次々と『よかったです』と感想を言いに来てくれて、市民賞を受賞した。そのとき、確信が得られました」

記事の後半では、水俣病をテーマとした新作に込めた思いや、戦後日本社会について原監督が語ります。

 ――どんな確信ですか。

 「スーパーヒーローに引っ張…

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