怒られ殴られバレー嫌いに 益子直美さんが変えてくれた
考えさせて伸ばすには?
福岡県福津市にある小学生のバレーボールクラブ「福津ジュニア」でコーチを務める北川美陽子さん(52)は、バレー一筋の青春時代を過ごした。
小学4年生で競技を始め、中学生で同県大会3位に。高校では「春高」と呼ばれる全国大会出場を果たし、実業団でもプレーした。
「地獄だった」と高校時代を振り返る。
「監督に怒られないように、ただ言われたことをやるだけ。怖くて、びくびくして……」
「怒られる」とは、「何十発も殴られる」ということだった。
コートの半面に独りぼっちで立たされ、打ち込まれるボールを拾い、上げられるボールを延々と追い続ける練習「ワンマン」。
倒れるまで、やらされた。
「全国大会に行って当たり前のチーム。春高に出ても、うれしくなかった。試合で負けることが許されない。負けたら、悲惨。夜中まで練習が続いた」
実業団で選手を引退後、バレーから離れた。
「自分のためというより、勝つと喜んでくれる親や周りのためにやっていた。大嫌いになって、テレビの試合も見たくなくなった」
未経験者の夫は「ドン引き」
大嫌いなバレーの世界に戻ったのは2009年、40歳の頃だ。
会社員の新二さん(50)と結婚し、小学3年の長男と幼稚園の年中の長女がいた。長女は、美陽子さんがかつてバレー選手だったことを知り、「私もやりたい」と言った。
地元の人たちにも頼まれ、バレー経験のない新二さんと一緒にチームを立ち上げ、指導を始めた。
初めての練習試合で、ショックを受けた。
6チームが集まった体育館。
「至る所で子どもが怒鳴られ、たたかれ、泣いていた。泣きながら試合をしていた。ドン引きした」と新二さん。
私たちの時代から何も変わってないな、と美陽子さんは感じた。
しかしやがて、自分たちも染まっていった。
新二さんは振り返る。「大会に出て勝つことが楽しかった。親や僕らが勝ちたくて、それが目標になっていた。新参者だったから『バカにされたくない』という思いもあったかもしれない。練習で強いボールを打って、怒鳴って」
年間で50もの大会に出場し、優勝や入賞を重ねた。卒業時、子どもたちにトロフィーや賞状を贈るのが誇りだった。
ところが、勝てるようになるにつれ、30人以上いた部員は徐々に減っていった。
美陽子さんは「今思えば、子どもたちに無理をさせて、プレッシャーをかけていた。勝ちたい、勝ちたいとなって、それしか見ていなかった」と悔やむ。
されて嫌だったこと、してしまった
体罰を科したわけではない。ただ、練習で子どもたちを怒ること、厳しく指導することは日常になっていた。
自分がされて、嫌だったことを、自分がしてしまっていたのだった。
「やりたかったバレーじゃない、と気づいた。上を目指したいがために、はまっていた。結果を出さなくてはいけないというプレッシャーもあって」
「心も体もボロボロになった」という美陽子さんは、新二さんに言った。
「休みたい」
どんな風にバレーを教えれば、子どもたちは帰ってきてくれるのか。
思い悩んでいた時、ある人が、折れた心を「リセット」させてくれた。
元女子日本代表の益子直美さん(54)だ。
子どもの頃にぶたれ、やはり「バレーが嫌いになった」という益子さん。「怒らない大会」を開くことを提案します。美陽子さんはどう変わっていくのでしょうか。
益子さんのバレー人生は、レ…
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