「ENEOS」生みの親、ブンメイさん 悼む3人の言葉

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諏訪和仁
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 石油元売り首位の新日本石油(現ENEOSホールディングス)で社長、会長を務めた渡文明さんが昨年12月に亡くなった。84歳だった。渡さんは、日本で最も多いガソリンスタンドのブランド「ENEOS(エネオス)」の生みの親だ。名前の読みは「ふみあき」だが、親しみをこめて「ブンメイさん」とも呼ばれた。親交があった方々に渡さんとの思い出を聞いた。

ENEOSホールディングス会長の杉森務さん(65)

 渡さんと直接仕事をするようになったのは1995年。私が本社の販売部でガソリン担当の課長になったときです。渡さんは販売部長から販売担当常務になった年でした。

 販売の総責任者ですから、怖かったですよ。仕事は随分と細かく、厳しい方で、こちらの説明に「これはどうなんだ」と、どんどん突っ込んでくるんですよ。渡さんが怒るのは、たとえば、私たちがガソリンなどを納めるガソリンスタンドの運営会社といったお客さんへの配慮が欠けたときで、「お前、クビだよ」って。私は記憶にあるだけでも3回はクビになっています。

 今から考えると、期待を込めてのクビだったんでしょう。クビだと言われてもめげないから、またクビと言われて。3回クビになって初めて一人前になったのかなと思います。

 99年に日本石油と三菱石油が合併して日石三菱になり、渡さんは2000年に社長になりました。ガソリンスタンドのブランドをどうするか、合併の準備段階からずっと議論していて、日石側は「すでにシェアが一番の日石マークに統一した方が早い」。一方の三菱側は「三菱ブランドは世界のスリーダイヤ。なくしてしまうのはもったいない」。どっちも譲らない。そこで渡さんが新しいブランドにすると裁定を下し、「ENEOS」をつくったんです。このブランドは、今や約1万3千カ所のガソリンスタンドについているし、去年の6月からは会社の名前にもしました。

 渡さんからよく言われたのは、「水素をやれ。水素は必ず日の目を見る。こんな優れたクリーンなエネルギーはない」。渡さんは、水素を都市ガスから取り出して使う家庭用の燃料電池「エネファーム」を手がけました。生産からは撤退しましたが、早くから水素に目を付けていました。それが今、菅義偉政権のグリーン成長戦略で中心バッターに据えられるほどです。これから、どれだけのものになるかは、我々の努力次第だと思います。

 ゴルフは本当に好きで、年間100回くらいやっていました。歩くのは速いし、立った姿はしゃんとしているし、年齢を感じさせませんでした。顔もいつまでたっても変わらないし。亡くなる直前まで、会社やゴルフでいろんな人に会っていました。急に亡くなって、いろんな方から「信じられない」と言われます。

ENEOSホールディングス名誉顧問の西尾進路さん(80)

 私が渡さんから社長を引き継…

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