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 【岩手】当時も白髪だったので、10年経っても風貌(ふうぼう)は変わらない。患者を包み込むような柔和な表情や、穏やかな口調も。

 岩田千尋さん(74)は、津波で全壊した県立大槌病院の院長だった。四半世紀務めた院長を退いてからも、同じ病院で内科医として勤務を続ける。「手遅れにならないように早く不調の原因を見つけ出して、専門医のいる病院に送るのが自分の役割」と話す。

 震災時、病院は大槌川の下流近くにあり、川を逆流した黒い津波が3階まで押し寄せた。岩田さんのとっさの指示で、職員が入院患者53人全員を屋上に引っぱり上げて助けた。だが、停電で人工呼吸器が使えなかった。看護師らは機器を手で押し、酸素を送った。徹夜で続けたが酸素が尽き、みとった患者もいた。

 県立大槌高校から浸水した公民館へと、診療場所を転々とし、6月にプレハブの仮設診療所ができた。検査機器を少しずつ調達していった。医師の宿舎も津波に流され、隣の釜石市から通った。病棟がないため入院させて様子を見ることができないなど、不便なことは多かった。その状態が5年間続いた。

 「災害時の患者が搬送されてくるはずの2次救急病院が、津波の危険がある場所にあってはいけないし、孤立する場所でもいけない」。岩田さんらは強く思った。2016年、病院は海から内陸に3キロ離れた場所に再建された。

 仮設診療所の頃は、復興事業のために町に来た働く世代の人がよく外来を訪れたが、今はほぼ高齢者。「臓器が弱り、かなりの率で認知症にもなっている。病院が、自宅と老人福祉施設の間をつなぐような役割になりつつある」と言う。再開した病棟で岩田さんが担当する7人の入院患者のうち、6人は85歳以上だ。

 大槌に来て45年目。「親も診てもらいました」と安堵(あんど)の表情で話す患者も多い。震災前は65歳で病院を退職しようと思っていたが、新病院のめどがつくまではと延ばしているうちに、沿岸部の医者が減ってきた。「体力の続く限り診療したい」。今はそう思っている。(東野真和