アラブの春「後悔ない」 ノーベル賞受賞者が語る10年

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伊藤喜之
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 アラブ諸国で民主化運動が連鎖した「アラブの春」。イエメンでは33年間続いた強権支配が倒れたが、2015年から内戦状態が続いている。民主化運動を先導し、11年にノーベル平和賞を受賞した人権活動家タワックル・カルマン氏(42)が書面での取材に応じ、この10年を振り返った。

カルマン氏略歴

1979年、イエメン・タイズ生まれ。2005年にNGO「鎖のないジャーナリスト」を創設し、07年から強権政治への抗議活動を展開した。11年にアラブの春が波及すると、サレハ大統領の退陣要求デモを主導し、「革命の母」と呼ばれた。同年のノーベル平和賞を受賞。反政府武装組織フーシが首都サヌアを占拠するとイエメンを離れ、現在はトルコと米国を行き来しながら、女性の権利向上などに取り組む。

 ――最初にチュニジアで政変が起きた後、どのように行動を始めたのですか。

 チュニジアのベンアリ政権が倒れた翌日、私は若者たちと一緒にイエメンの首都サヌアチュニジア大使館に行きました。「おめでとう」と伝えるためです。地元紙にも寄稿し、イエメンのサレハ大統領の長期政権を批判しながら、国民にこう呼びかけました。「時間が平和をもたらさないのなら、戦え!」

 イエメンは1990年に南北統一して以来、アラブ諸国のなかでは比較的、報道の自由がある国でもあったのです。チュニジア政権交代を受けてイエメンでも必ず変化が起こるとの確信がありました。集会や抗議デモを重ね、サヌア中心部の広場にテントを張って寝泊まりを続けました。

 ――12年2月、サレハ大統領が正式に退陣しました。どう感じましたか。

 ほっとしたのを覚えています。サレハ氏は政権交代の障壁でした。しかし、彼に一切の刑事責任などを問わない訴追免除が与えられたことは気に入らなかった。政治活動を続けさせることを許したため、その後、彼が(イランが支援する反政府勢力)フーシと手を組む結果を招き、いまに至る混乱をもたらしました。

 ――あなたはデモの先導者としてノーベル平和賞を受賞します。その後、民主化はどう進みましたか。

 サレハ氏の退陣後、同じ政権与党のハディ氏が暫定大統領に就きました。多くの国民が非営利組織などで働くようになり、ジャーナリズム団体や地域コミュニティーが多く誕生しました。国民対話会議が開かれ、新憲法の内容が話し合われるなど、未来への楽観がありました。

 ――しかし、フーシが14年9月に新憲法の草案を拒否し、15年1月にサヌアを占拠して以来、ハディ暫定政権を支援するサウジアラビア主導の有志連合の介入もあり、内戦が続いています。

 要因は複合的ですが、ハディ氏の政治的弱さや暫定政権の人々の無能さ、そして権力を追われたサレハ氏がフーシとの同盟を結んだことなどが指摘できます。また、王政を維持するサウジやアラブ首長国連邦が民主的な革命の広がりを嫌い、それにハディ氏が屈したことも大きいのです。

 ――「春」の当時、フーシはサヌアでのデモに参加していたんですよね?

 そうです、デモ隊の一部でした。ただフーシはサヌアで平和的にデモに参加しながら、縄張りとするイエメン北部では武力で勢力を広げていたのです。イスラム教の狭い宗派による支配を私たちは阻止しなくてはいけません。

 ――アラブの春がなかった方がまだ良かったという人もいます。

 イエメンを含むアラブ諸国の…

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