分断深まる国で、娘の名に込めた願い 日系3世代の物語

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花房吾早子
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 社会の分断が深まる米国。日系3世のトシオ・モリさん(41)は、昨年生まれた娘の名前にある願いを込めた。第2次大戦中、米国で日系人を収容所に送る大統領令が出てから2月20日で79年。ある日系人ファミリーの名前をめぐる物語をたどった。(花房吾早子)

写真・図版
作家トシオ・モリの著作を手にするトシオ・モリさん=2019年11月、米サンフランシスコ公立図書館ウェスタン・アディション分館、花房吾早子撮影

 「まるで外国にいる別の誰かの名前のようだ」

 米カリフォルニア州サンフランシスコに住む日系3世のトシオ・モリさん(41)は、物心ついた頃から、自分の名前に異質な何かを感じてきた。

 「Tosh(トッシュ)」

 気づけば、学校の先生も友だちも、そう呼んだ。

 「みんなと同じような西洋的なあだ名で、同級生に溶け込もうとしていた」

 「トシオ」と名付けたのは、日系2世の父カズオ(和男)さん(84)と、白人の母ローラさん(享年62)だ。

 太平洋戦争開戦から約2カ月半後の1942年2月20日(米国時間19日)。敵国の日本にルーツがある人たちを強制的に収容所へ送る大統領令が出された。

 日系1世の祖父母は1900年代初頭、岡山県から米国に移住した。

 当時6歳のカズオさんを連れ、四つの収容施設を転々とした。米国に忠誠を誓わされた経験から、祖父は戦後、父が日本語を使うことを許さなかった。

 トシオさんが生まれた時、両親は悩んだ。

 日本名をつけるか、英語名をつけるか、両方つけるべきか――。

 「英語名があったら日本名はきっと一生使わない。自分がどこから来たか、いつも覚えていてほしい」

 日本名にこだわったのは、英語教師で本が好きなローラさんだった。

 「トシオ」は、日系米国人の…

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