宮城県石巻市職員の高橋仁志さん(48)は、8年4カ月もの間、プレハブ仮設住宅の担当を続けた。仮設住宅がなくなった今、公式報告書に書ききれない失敗や苦労もひっくるめて、教訓を伝えるべきだと考えている。
――被災地最多、7153戸の仮設住宅すべてが完成したのは、2011年10月でした。
「被災した方は、初めこそ生活の場を提供してもらってありがたいという空気だったが、次第に暑さ寒さや建物の不具合を、市に言ってくるようになる。設備の追加が繰り返された。窓ガラスを二重にし、暖房便座をつけ、カーペットで寒いという人は畳に、風呂は追いだき機能も加えた」
「1戸あたり550万円の見込みだった建設費は最終的に730万円に。追加追加でやるより、最初から標準仕様にしておけば、コストを減らせたのでは」
「仮設は密閉空間。結露やカビの苦情も相次いだ。石巻は持ち家率が高く、広い家で換気に気を使う習慣がなかった。換気扇を回して下さいというと、『その分の電気代を市が出して』と、よく言われた」
――コミュニティーづくりが…
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