有馬芸妓、冬の時代 時代の波とコロナ禍で

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西田有里
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 【兵庫】「関西の奥座敷」と呼ばれる有馬温泉神戸市北区)を彩ってきた芸妓文化が、正念場を迎えている。温泉街での楽しみ方の変化にコロナ禍が追い打ちとなり、お座敷が大きく減った。伝統を絶やすまいと、温泉街の旅館経営者と芸妓がともに動き始めた。

 有馬温泉街の芸妓たちの所属事務所にあたる「置屋」には、お座敷の予約台帳がある。でも昨春の緊急事態宣言の頃から空欄のまま。芸歴25年目の芸妓、一菜(いちな)さんはため息をつく。

 それでも、伝統文化を後世につながなくては――。芸妓たちが助けを求め、温泉街の人々が応じた。昨年10月、旅館経営者らが中心となって「有馬伝統文化振興会」を立ち上げた。

 会長に就いたのは、創業700年の老舗温泉旅館「兵衛 向陽閣」の風早(かぜはや)和喜社長(69)。風早氏によると、向陽閣では1960年代、最大200人規模の団体客のお座敷が毎日数件入っていたが、近年では月10件ほどにまで減った。

 長い時間が流れ、温泉街の楽しみ方と接待文化が変わってきた。団体客は減り、家族連れや女性客が増えた。社員旅行も、ゲーム大会など自分たちで楽しむ形になりつつある。

 そこにコロナ禍が追い打ちをかけた。感染が拡大した昨年2月以降、温泉客は激減し、県からの要請で温泉旅館も一時休業した。お座敷はほぼゼロの日が続く。観光支援策「Go To トラベル」で個人客は増えたが、団体客は戻らなかった。

 芸妓は、いわば自営業。お座敷がなければ収入もない。でも、いつ声が掛かってもいいように、かつらや着物は、それなりのお金をかけてメンテナンスしなければならない。踊りも稽古代がかかる。すでに別の道を選んだ芸妓もいるという。

 苦境から抜け出そうと、有馬伝統文化振興会は、神戸市が4月から受け付ける「神戸歴史遺産」への登録をめざす。ふるさと納税を活用し、継承が危ぶまれる伝統文化などを経済的に支援する新制度だ。有馬の芸妓の歴史的・文化的価値や地域への貢献度をアピールしていく。また振興会は、気持ちと資金で応援してくれる「有馬芸妓タニマチ」の募集も始めた。

 光明はある。温泉街で閑古鳥が鳴き始めた昨年2月以降、新たに2人が芸妓の門をたたいた。

 「『お仕事ないよ』って伝えたんだけど、それでも来てお稽古を受けてくれて」。一菜さんはうれしそうだ。「芸妓は、伝統をつなぐ素晴らしい仕事。今はつらいけど、芸妓を知ってもらう準備期間になれば」

     ◇

 芸妓の稽古場であり、いわば派遣事務所の「有馬検番」によると、有馬の芸妓は鎌倉時代の「湯女(ゆな)」が発祥と伝わる。1人ずつ湯につかる湯治場で、刀や通行証、お金を預かり、入浴時間も管理。湯治客が湯からあがると、お酌をし、一緒に和歌も詠んだという。

 明治中期から「芸妓」と呼ばれるようになった。有馬では18~20歳を「半玉(はんぎょく)」、21歳以上を「芸妓」と呼ぶ。京都の「舞妓」、関東の「芸者」という呼び名は、有馬では使わないという。

 1960年代、有馬温泉には約150~200人の芸妓がおり、所属事務所にあたる「置屋」も15軒あった。今では置屋は1軒、芸妓は20~80代の10人ほどに減った。(西田有里)

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