背番号「89」に込めた思い 仙台社長がかなえた恩返し

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清水寿之
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どうしても形にしたかった

 最大震度6強の地震が前夜、東北を襲っていた。

 それでも、男子プロバスケットBリーグ2部仙台89ERSの社長・志村雄彦(38)は2月14日、あるイベントを開催しようと、ゼビオアリーナ仙台に姿を現した。

 試合の中止は決まっていた。対戦するはずだった群馬クレインサンダーズの選手たちの宿泊先が被害を受け、公平な条件で戦えないとの判断だった。

 どうしてもかたちにしたかったのは、前座の、地元の小学生30人を招いてのイベントだった。志村は「(プロが使うコートでのプレーは)彼らにとっては一生に一度のチャンスかもしれない。ここだけは実現させてあげたかった」。参加者全員が安全に集まれること、会場に被害がないことを確認し、実施を決めた。

 もうひとつ大きな理由がある。このイベントで取り組んだのは「ディフェンスアクション」と呼ばれるプログラム。バスケットを楽しみながら防災意識を高める試みで、「津波」と声がかかれば「高台」と書かれたポールを目がけてドリブルで進む。プレーと避難行動を結びつけることで、災害時には反射的に動けるようにする狙いだ。震災10年の節目に合わせてBリーグなどが考案した。

 「大きな地震があったばかりのタイミングで当事者意識を持ってもらうことが、防災につながると思った」と志村は言う。笑顔でコートを駆け回る子どもたちを見て、改めて思った。

 「僕らの本業はバスケット。でも、震災の経験を地域に還元することも大切なことなんだ」

   ◇

クラブ復活、イメージできなかった

 2011年3月11日午後2時46分、仙台(当時はbjリーグ)の選手だった志村は宮城県内のサービスエリアにいた。新潟遠征へ向かうバスの車内で異変が襲ってきた。

 「停車しているのに倒れるかと思うくらい、縦に、横に揺れた」

 津波にのみ込まれる仙台空港の映像、沿岸部に何百体もの遺体が打ち上げられたとされる未確認情報――。車内のテレビから伝わってくる情報に色を失った。

 当時のチームはリーグ優勝を争い、志村自身も主力選手。身長160センチと小柄ながら、地元出身の司令塔として人気を集めていた。バスケットが最優先の生活は震災を境に一変した。

 「明日どうやってご飯を食べよう、どう生きたらいいのか。そこを一番に考えるようになった。いまやるべきことはバスケットではない、と」

 チームもまもなく活動休止に追い込まれた。

 志村ら選手とスタッフは救援…

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