香取慎吾が考えるパラの未来「子に勧められる世の中に」

榊原一生
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慎吾とゆくパラロード

 朝日新聞パラリンピック・スペシャルナビゲーターの香取慎吾さんがさまざまなパラ競技に挑戦する「慎吾とゆくパラロード」。コロナ禍の緊急事態宣言延長を受け、今回は競技体験ではなく、パラパワーリフティングの山本恵理選手(37)と対談しました。日本財団パラリンピックサポートセンター(パラサポ)常勤職員として働きながら、“4度目のパラリンピック”を初めて選手として目指しています。

 2年ぶりの再会を喜んだ香取さんと山本選手。ただ、2人でじっくり話をするのは、これが初めてだった。アスリートの道を再び歩み始めた山本選手が、香取さんに自身のことを語り始めた。

 《今夏の東京パラリンピックに出ることができれば、4度目の大会になるんです。》

 香取さんは身を乗り出した。

 《すごくない? どういうこと?》

 山本選手は言った。

 《2008年の北京パラは日本の水泳代表のメンタルトレーナーとして、12年のロンドンパラは水泳の事前合宿の通訳などを務め、16年のリオパラは国際パラリンピック委員会のボランティアとして現地に行かせてもらいました。》

紙面でも

香取慎吾さんとパラ・パワーリフティングの山本恵理選手による対談は2月26日付朝刊スポーツ面の「慎吾とゆくパラロード」でも、1ページを使って紹介します。

 4度目の意味を理解した香取さん。

 《そういうことか。それで今回はパラパワーリフティングの選手として初めての出場を狙っているんだね。それまでにも何か競技をやっていたの?》

 山本選手は答えた。

水泳で目指したパラリンピック

 《私は先天性の二分脊椎(せきつい)症で、手術の影響もあって両足が不自由です。9歳の時に水泳を始めました。本当は水が大嫌いでシャワーも受けつけなかったんですけど、母親が水害が起きた時のことを考えて水嫌いを克服させようと習わせたんです。でも嫌だからおぼれてやろうとプールで暴れていたら、ぷっくりと浮いてしまって。足を交差させたら動かせて泳ぐこともできた。その瞬間「楽しい!」って。それでのめり込みました。海外にも行けると聞いて、本気でパラリンピックを目指し始めたんです。》

 香取さんは言った。

 《9歳でパラを。水中では普段の生活ではできない動きができたんだよね。嫌々でもやってみたら何か発見がある。その後の山本選手のパラリンピックとの関わりはメンタルトレーナーなど、裏方として支える側だよね。どうしてなの?》

 山本選手は高2の時のケガで水泳を断念し、目標を奪われてしまったことを香取さんに打ち明けた。そして、続けた。

 《ただ、私が知っているパラ選手はみんな仕事を持っていた。自分のパラリンピックへの夢は絶たれてしまったけれど、今度は仕事で役割を果たそうと切り替えたんです。パラ界には関わっていたい、選手をサポートしたい、と大学院でスポーツ心理学などを学びました。》

 香取さんがうなずいた。

 《次は選手を支える人間として、世界一を目指そうと思ったんだね。》

 山本選手にはどうしても香取さんに聞いてみたいことがあった。

 《エンターテインメントの世界で力を発揮できる、そのメンタルの強さはどこからですか?》

 少し間を置いて香取さんは言った。

 《強い、弱いかを聞かれれば、強いと思う。その源は経験値が一番かな。失敗? お芝居やレコーディングでいっぱいしてきているよ。ただ、気持ちが沈んでもすぐに次の仕事がやってくる。その繰り返し。もちろん成功して自信をつかんだこともある。色々な引き出しが増えていったからこそ、どんな状況にも対応できる力が備わった。そんな感じかな。》

 山本選手は香取さんに興味津々だ。

 《心の整え方は人それぞれ。香取さんは引き出しの多さが心の強さにつながっているんですね。失敗してもへこむことなく次に向かう。なるほど。できる気がする。私、メンタルトレーナーなんですけど、自分の心はなかなか整えられない。だから人にお願いするんです。》

 香取さんは笑顔でかえした。

香取さん「ここ4年は必死」

 《新しい人生を歩み始めた、ここ4年は必死に生きています。自分の人生、楽だなと思ったことはないかな。なんでこんな必死に生きているのかと自問自答しながら日々生きている感じがする。山本選手もそうじゃない? パラパワーリフティングを始めてからは特に。》

 山本選手は競技に出会った当時を振り返った。

 《16年5月に仕事で行ったパラ競技体験イベントでバーベルを握ったら、40キロが挙がった。すると周囲がざわついたんです。筋骨隆々の競技は私のスポーツじゃないと思っていたんですが、幼い頃の思いがよみがえってきた。私、パラに出たかったじゃんって。競技をやる人生とやらない人生、どちらが楽しいかと考えたら、やる方だった。なので必死です。》

 パラサポの教育事業担当の職員として働きながら、選手として職場の地下2階にあるトレーニング室でベンチプレスの重りと向き合う。生活のほとんどの時間を、パラスポーツに注ぐ。

 《皆さんに「あと2キロ」と言われます。》

 香取さんは聞き返した。

 《あと2キロ。どういうことなの?》

 山本選手が説明した。

 《女子55キロ級で、私が持つ日本記録は63キロ。でも東京パラリンピックに出るための標準記録は65キロなんです。それでみんな「あと2キロ」と。この競技はしっかりとしたやり方で練習を積めば目標の重量に近づきます。仕事としてパラ教育を推進するだけでなく、選手としても人間の可能性や魅力を発信したいですね。》

 香取さんは思った。

 《障害のある子どもたちが、周囲の勧めでパラスポーツに出会うこともそうだけど、親御さんがパラの世界を知り、子どもに「やってみたら」と言える世の中になればいいよね。》

 山本選手は笑顔で答えた。

 《障害のある子どもにとって、スポーツの優先度は決して高くない。でも選択肢を広げてあげるためにはパラを知ってもらうことが大事。私は同級生と一緒に体育ができず、将来の夢を聞かれてもアスリートとは言えなかった。だからもっと選択肢が広がって、大人が「なりたいものに何でもなれるんだよ」と言ってあげられる社会にしていきたいですね。》(榊原一生)

 山本恵理(やまもと・えり) 1983年5月17日生まれ、神戸市出身。二分脊椎(せきつい)症で生まれつき足が不自由。同志社大から大体大大学院に進み、スポーツ心理学を専攻。2010年からカナダに留学し、パラアイスホッケーカナダ女子代表に選出。15年に帰国。日本財団パラリンピックサポートセンターの職員となり、16年5月の体験会を機にパラパワーリフティングを始めた。女子55キロ級日本記録(63キロ)を持つ。