差別され続けた少年時代 今度は輝く姿を東京パラで

榊原一生 ロンドン=遠田寛生
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 コロナ禍で先が見えない中、パラアスリートたちは東京パラリンピックを目指している。8月24日の開幕まであと半年。今大会を最後に現役引退を表明している海外アスリートに、大会への思いや自身の存在意義などを聞いた。

パラ水泳 ダニエル・ディアス(ブラジル

 現役最後の舞台と決めた東京を色々な思いで見つめている。新型コロナウイルスの影響で開催に懐疑的な意見が多い中、大会組織委員会の森喜朗前会長は、女性蔑視発言で辞任した。

拡大する写真・図版リオデジャネイロ大会男子200メートル自由形(S5)決勝で、優勝したダニエル・ディアス=金川雄策撮影

 「そういう発言はがっかりだし、あるまじきこと。だけど、大会があるかないか、心が揺れ動きそうな時こそ本来の自分の目標は何なのか、原点に立ち返ることにしている。日本選手にとって自国開催の舞台に出られることは人生できっと一度しかないチャンス。何のために競技を始め、何のために競技をしているのかにフォーカスすれば、周囲のことは気にならなくなる」

 「パラリンピック界のフェルプス」。五輪史上最多の金メダル通算23個を獲得したマイケル・フェルプス(米)になぞらえ、そう呼ばれる。生まれつき右腕と右足の先がなく、左手の指も1本だけ。2016年の自国開催のリオデジャネイロ大会では全9種目でメダルを獲得した。登場すれば、2万人の観衆が「ダーニ」と叫び活躍を期待した。忘れられないシーンがある。

「僕、あなたのようになりたい」

 「会場で『僕、ダニエルのようになりたい』と言われたんです。健常の子どもにですよ。きっと一人の人間の可能性を追求する姿に心打たれたのだと思う。水泳選手の自分が、障害のあるなしに関わらず子どもたちにインスピレーションを与えられるのはスポーツをやっていたからこそ。自身のレガシーであり、選手冥利(みょうり)に尽きます」

 差別に苦しんだ少年時代の経験が、誰もが交じり合う共生社会実現への思いを強くさせる。手や足がないことに心ない言葉を浴びせられ、涙して帰宅することも少なくなかったという。

拡大する写真・図版2016年のリオデジャネイロ・パラリンピック水泳で金メダル4個を含むメダル9個を獲得したダニエル・ディアス

 「好奇の目にさらされ、障害への差別も数えきれないくらい受けてきた。でも両親は常に味方だった。こう言ってくれたんです。『他人や社会に差別はあるもので、なくならない。だけど、あなたの心の中にあってはいけない』と。僕は人を差別しないし、自分が障害のない人に比べて劣っているとも思っていない。両親は僕に、幸せになってもいいんだという前向きな心の持ちようを教えてくれた」

希望や笑顔を与えたい

 競技歴17年目となるシーズン。16歳の時に「パラリンピックのサメ」の異名を持つ母国の水泳選手に憧れた少年は、今や世界のパラアスリートの「顔」だ。リオ大会後にトレーナーやコーチでつくる自身のチームを一新し、さらに進化した姿を見せたいと意気込む。

 「期待感は高まってきている。何とか開催して欲しい。パフォーマンスもそうだけど、何より僕は子どもたちや人々の手本でありたい。メダルを獲得したからといって、いい手本ではない。東京から発信される自身の頑張りや生き方を通して、人々に希望や笑顔を与えられる存在でありたい」

 現役引退後は、自身が設立した団体で子どもたちの水泳指導をする予定だ。「メダルをとれる選手の育成よりも、社会のために貢献できる人間、スポーツの勝ち負けを超えた人生のチャンピオンを育てたい。僕の障害は特徴、個性であり、生き方を決めるのは障害ではなく内面。そのような理解やメッセージをもっと多くの人とシェアをしていければと考えています」(榊原一生)

拡大する写真・図版オンライン取材で、東京大会への意気込みを語ったダニエル・ディアス

 ダニエル・ディアス 1988年5月、ブラジル生まれ。生まれつき手足に障害がある。16歳で水泳を始め、北京、ロンドン、リオデジャネイロのパラリンピック3大会で計24個(金14個)のメダルを獲得。パラアスリートを追うWOWOWのドキュメンタリー番組「WHO I AM」にも登場。

パラ陸上 ステファニー・リード(イギリス)

拡大する写真・図版2017年、ロンドンであった世界選手権の女子走り幅跳びT44で優勝し喜ぶステファニー・リード(英)=ロイター

 2017年、現役ながら英ロンドンであったパラ陸上の世界選手権開催に携わった。大会準備は骨の折れる作業だ。東京大会の開幕を信じる一方で、難しい現実も分かっている。「新型コロナウイルスの感染状況を見れば、開催を断言できる人なんていないと思う」

 だからこそ、臆測が広がるのには黙っていられなかった。1月下旬、英メディアが日本の連立与党関係者が匿名で「大会は中止」と発言したと報じると、自身のSNSで選手の気持ちをもてあそばないでと訴えた。

大会中止報道に怒り

 「会話はあったかもしれない。あっても驚かない。テロ対策と一緒で、日本や組織委員会は全ての可能性に備えないといけないから。でも匿名。波風を立てるだけの不確実な情報を公に出す必要はないでしょう? ストレスがたまる」

 望むのは確かな情報。「具体的な裏付けがなければ、今は『何が何でも開催する』という言葉はいらない」。その分、大会組織委員会などが今月上旬に発表した規則集「プレーブック」は役立つと歓迎する。

 パラリンピックは2008年北京大会から3大会連続出場。東京大会では、女子走り幅跳びの優勝候補だ。最初は短距離専門だったが、「完璧に踏み切った跳躍は格別。まるで飛んでいる気持ちになる」。

拡大する写真・図版2019年7月、ロンドンであった国際大会に参加したステファニー・リード(英)=ロイター

 英国は1月から再びロックダウン都市封鎖)している。例年なら南アフリカなど暖かい地で合宿する。今は雪も降って寒い英ラフバラで、予定の7割ぐらいしか練習をこなせていない。暗くなりがちな毎日で、頑張れるのは目標の大会があるからだ。「私には最後のパラリンピック。許されるなら、どんな形でも開催してほしい」

 開催を疑問視する声も理解できる。ただ、「テレビで見るだけでも、勝利の喜びや負ける悔しさから、感情の起伏を体感できる。そして自分を律し目標に向かうひたむきな姿勢や工夫、情熱を再確認できる気がする」。刺激や息抜き効果が期待できると読む。

 スポーツに支えられてきたから言える。ラグビーのスター選手を夢見て育ったが、カナダ在住だった15歳の時にボートの事故に遭い右足を切断した。「もう走れない。何もしていないのに不公平だ」。生きる意味を見失い、やり場のない怒りも芽生えた。病院では食事もろくにとらず、面会も断った。

「できる」と気付いた瞬間

 ある日、遠ざけようとした看護師の女性から言われた。「ふさぎこむのはもう十分。何か始めないとだめ」と。優しい言葉で、同じ病棟にいる両足を失いながら笑顔で過ごす年下の子の存在を教えられた。

 「25年勤務のベテラン。私が諦めて、努力していないのを見抜いていた。事故以来、初めて同情されなかった。しかも彼女は私に期待してくれた。できるって。何かがはじけた」

 リハビリは苦しかった。ぎこちなく歩き、不自由なく過ごせるまで4年近くかかった。貫けたのは「また走りたい」思いだった。

 今夏は競技人生の集大成になる。16年リオデジャネイロ大会後、引退も一瞬考えたが続行した。なぜか。

 「私は右足にブレード、夫は車いすの選手。パラリンピアンは、様々な技術のおかげで競うことができている。日本は技術力が高く、素晴らしい技術を提供してきた中心的な存在だ。次はその日本が舞台。絶対素晴らしい大会になる。だから目指そうと決めた」(ロンドン=遠田寛生)

拡大する写真・図版オンラインで取材に答えるステファニー・リード(英)

 ステファニー・リード 1984年10月、ニュージーランド生まれ。15歳の時のボート事故で右足を切断。パラリンピックカナダ代表だった北京は200メートルで銅、英国代表になったロンドン、リオデジャネイロは走り幅跳びで銀メダル。障害クラスは下肢障害T44。